『人間の運命―Судьба человека―』

読書記録『人間の運命―Судьба человека―』(ショーロホフ、米川正夫・漆原隆子訳、角川文庫)

五つの短編からなる200ページ足らずの薄い文庫本だが、密度は濃い。特にロシアを知りたい者にとっては。解説で元外交官の佐藤優氏は「ロシア人の内在的論理を短時間で知るために本書は最適」と書く。その肝は「正義感の強さ」と「暴力性」という。なるほど。

加えて、ロシア文学というと帝政時代のものが著名だが、ショーロホフ(1905~1984)は20世紀、まさにソ連時代の人だ。ドストエフスキーやトルストイとは違う、革命後のロシア文学は非常に新鮮だった。

滅びゆくコサック村の老人、社会主義化にほんろうされる農民、ささやかな幸せを破壊した「大祖国戦争」の悲しみ。ロシア革命から戦後までの時代の空気が1冊に凝縮して保存されているように感じた。

「戦争の間に白髪になった初老の男たちは、夢の中でだけ泣くのではない。彼らはうつつにも泣くのだ。そういうとき大事なのは、適当な時に顔をそむけることである。何より大事なのは、子供の心を傷つけぬことだ。君の頬に乏しい、焼くような男の涙が流れるのを、子供に見られないようにすることだ……」

――表題作『人間の運命』より

アルジャーノンに花束を

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新しい言語を毎日学び続けて、下宿先の夕食時に話せる内容の幅が0・5センチずつくらい広がっている気がする。今のところは。

ふと、小説『アルジャーノンに花束を』を思い出す。知的障害者が手術によりぐんぐんと賢くなり、遂には天才になるが……という寓話的な、最期はしんみりする物語。「彼自身」の書く文章がどんどん高度化していくのを読むことで、読者も彼が急成長していくのを感じられる仕掛けがある。

いま、ロシア語で書ける文章は彼の初期の文章だ。さて、どこまでいけるかな。

六月のうた

走ること 体を軽く揺すること 思考をぽろぽろ落としてゆこう

一日の最後のほうにくる夕日 白夜の街にとけてゆきたし

ネバ川のおそらく苦い水よりも苦い思いが味蕾を去らず

ロシア語の日曜日とは「復活」を意味する われも復活したし

笑うしかない笑うしかないことがあるんだ床に落ちた関係

どしゃぶりの異国がそとにある窓でなぜおれはいまここにいるの、か

紺色の午前1時の濡れた街だいだい色の明かりの浮かぶ

新しい言語をまなぶ日々いつかアルジャーノンへ花を手折ろう

『コザック/ハジ・ムラート』

読書記録、『コザック/ハジ・ムラート』(トルストイ、中央公論新社)

コザックのみ読了。北コーカサスを舞台に、貴族出の若い士官候補生がコザック村に駐在しての物語。モスクワでの都会生活から野性的な村での人間的生活へ、酒と狩猟と孤独な思考へ――。

まずは自己犠牲的な気分に酔い、やがて「自己犠牲は傲慢だ」と変遷し、美しいコザック娘を相手に幸福を率直に追求するに至る。けれど、唐突にして人生の苦さを嘗め、村を去る。苦さを知ってこそ人生か。

もう一人の主役は勇猛で性急な若いコザック。そして大コーカサス山脈。

「彼が自分と、山や空との距離と、山の巨大さとを完全に理解したとき、そして、その美の限りなきを感得したときには、彼はそれが幻ではないか、夢ではないかと驚き怪しんだくらいである。彼は、はっきり目をさますために身ぶるいしてみた。が、山は依然として変わりがなかった」

この本も中央公論新社から去年、出版。それまでは全集か古本でしか読めなかったらしい。

『キリスト教入門』

読書記録、『キリスト教入門』(矢内原忠雄、中公文庫)

「宗教は弱者のための必要物だと言う人があるなら、そのとおりと言うほかはない。しかし世に弱者は多いのである」
「キリスト教はすべて乏しい人の宗教であります」

なぜ人は祈るのか。ロシアに関しては、文化的基盤の枢要を占めるキリスト教を学ばねば。第一歩として好著だった。自身もキリスト者の矢内原氏の記述は学者としてのそれではなく、胸に迫る。氏は日中戦争を批判して東大教授を追われた「矢内原事件」で知られ、戦後は一転、東大総長に。

つい最近、文庫化されていたので飛行機内で読んだ。