2015年9月、モスクワ発オーストリア、チェコ旅行記録

◇1日目、モスクワ―ウィーン

朝、ブヌコボ空港に着いて、「運航中止」と知る。またもトランスアエロの混乱。18時過ぎの便に振り替えとなり、一旦帰宅して再出発。20時過ぎに遅延、振り替えに不備と判明。窓口たらい回しと格闘し、なんとか解決。決して謝ることはない。社会主義の残滓を見る。探知犬が床で転がり、隅のテーブルでウイスキーを飲む人々。その緩さは良いのだが。だらだら過ごし、無事、午後9時過ぎに出発。遠いヨーロッパ。3時間のフライトだが。

オーストリアではあっさりと入国。広々した空港。ホテル手配のタクシー荷物を運んでくれる運転手。ベンツのワゴン。先日のアゼルバイジャン人のおじさん運転手とのギャップを思う。良くも悪くも。今年1月のイタリア以来のヨーロッパ。真夜中に見た街並みだけだが、より繊細でスムースに見える。モスクワが大づくりでガサガサした街と感じる。

◇2日目、ウィーン

駅で難民らしき人々を見かける。ウィーン中心部で威容を誇るシュテファン大聖堂の塔上から街並みを眺める。聖堂の屋根には色瓦で描かれた巨大な双頭のワシ。旧オーストリア帝国の紋章だ。ウィーンは1918年にハプスブルク家が倒れるまでその帝都だった。足元の広場には黒光りした観光馬車が並び、過去の繁栄を想像させられる。ウクライナ人観光客を見かけた。

ザッハーカフェでザッハトルテ。なんだか人手の少ないカフェでぎすぎすしている。無言で美味しいトルテを食べる。王宮へ。正面は馬車の匂い。エリザベータの悲しい生涯を知る。フランツ・ヨーゼフの質実剛健。立ったまま謁見し、鉄製ベッドで寝た。歴史の層がうまく重なった街並み。いかにもヨーロッパな。イタリアよりも整然。シュニッツェルを食べに名店へ。シュニッツェル、芋サラダ、ブドウジュース。薄くてデカイ。からりと揚がっている。下味きっちり、豚はもっちり。されど、デカい。郵便局横から運河へ。落書きもある。気持ちの良い秋晴れ。公園へ。華やかな花屋。タイ人観光客。ベンチの列。地下鉄で帰る。

◇3日目、ウィーン―チェスキークルムロフ

晴れ、肌寒い。西駅にはリュックを背負った中東系の人々。シリア難民だろうか? 歩行者にとって歩きやすい街並み。対して、歩きにくいモスクワ。共産党指導者が車でノンストップで高速移動できるよう設計したからか。午後、ホテルに迎えのワンボックス車が来る。午後4時、車へ。ドナウ川沿いの高速、やがてそれて北西へ。田園風景。ブドウ畑、トウモロコシ畑、ヒマワリ畑。頭を垂れる種つきヒマワリ。ふとウクライナ東部を思う。快調に走る道の先にいずれかの検問があったり、畑に戦車が潜んでいるのではーーとの奇妙な感覚を得る。滑らかな舗装路、きちんと刈り取られた畑。西ウクライナはかつて同じ帝国領だった。歴史のサジ加減一つでどうなっていたか。大陸は繋がっている。国境線は波打際のよう。潮の満ち干や流れでいかようにも変わる。だから恐れも生じる。

午後6時過ぎの夕暮れ時、丘を越え、小さな町村を過ぎて田園地帯の道でするりとチェコへ入った。ニワトリが道を横切る。携帯会社はさっと変わった。気づくと、カーラジオからスラブ語の響き。なだらかな丘陵、森、田園。1日を終えた静かな農村。磔のキリスト像。黄金色の夕暮れ。白金に光る夕陽。たくましい街路樹。日が暮れる間ぎわ、チェスキークルムロフ到着。

ドライバーのきちんとした若者はチェコ人。「ロシア語はダーとニエトしか知らない。多くは英語を話す」という。小さな綺麗な城下町。ホテル、川辺の部屋へ。夜、街へ。東洋人が目立つ。まるで観光の島のよう。グリルの店へ入る。ミックス・グリル、焼きカマンベール、チーズサラダ、鮭グリル、オニオンスープ、黒ビール、イチゴジュースで4000円くらい。イモが多い。

◇4日目、チェスキークルムロフ

小雨、11度。城下町を歩く。雑貨屋、小物屋、骨董屋。ドーナツ的な焼き菓子を食べ歩き、登城。城のガイドツアー。前半の薄暗く重いいかにもボヘミアな趣き。幽霊話も。後半はロココ調のギラギラ。童話のような街並みを眺めた。ここに城塞はないけれど、蛇行する川が天然の堀のようだ。欧州はシリアなどから大量に押し寄せる難民問題に揺れている。豊かな城塞都市の中へ入ろうと、城壁の外に人だかりができているようなイメージがわく。ウィーンでも鉄道駅にちらほらと中東系の難民の姿があった。夕方に中華を上海飯店で。何はともあれ、チェコのビールは美味しいのだ。

◇5日目、チェスキークルムロフ―プラハ

曇り、肌寒い。朝食はヨーグルトを中心に。10時半チェックアウト。バスターミナルを確認。ビール醸造所を回り、城の近くのカフェで美味しいコーヒーとチョコ。街をぶらぶら。中国人、韓国人が多い。アートセンター前で昼のパニーニとレモネード。ホテルでスーツケースを拾い、バス停へ。

午後2時のバス。乗り心地良し。40分でチェスケーブデヨビチェ。古びた味のある駅舎。古本屋などのぞく。午後4時前の列車にする。自由席で広い8人掛けコンパートメントを独占。田園風景を横目に小説を読む。午後6時半にプラハ駅。地下鉄に乗り換え、スムーズにホテル到着。寝室二つのやたらに広い部屋。上が学生たちで少しうるさい。外を歩き、中国人のスーパーでタイとベトナムのカップ麺、サラミ、ビール、ヨーグルト、水。夕食には充分だ。都会についた感触を得る。ローマなどに似るか。ウィーンは少し整然とし過ぎていて、こちらの方が親しみやすい。

◇6日目、プラハ

晴れ。旧市街へ。カレル橋。欧州系の観光客が多い。地下鉄でムステクへ。地下の古本屋でチャペックの犬の本を買う。ポスター屋を冷やかし、ガイドブックにあった居酒屋で昼飯を。鮭サラダ、豚関節のロースト、ビール。ユダヤ人地区を抜けて大通り公園のようなバツラフ広場。紀伊國屋のような大型書店の絵本コーナーを眺める。店内のカフェコーナーで冷えたジュース。

◇7日目、プラハ

晴れ。10時ごろ、近郊蚤の市へ。まさしく蚤の市。スリの顔写真が貼ってある。ロシア語のカタコト風でやりとり。ソ連ものはあまり見ない。ソーセージがうまい。続いてホテル近くの蚤の市へ。シュコダのチェコスロバキア時代のコーヒーカップを買う。

バツラフ広場を通り抜け、ミュシャ博物館へ。後期の民族主義的なものにひかれ、図録など買う。アールヌーボーが好きだ。無駄に優美な曲線。無駄にして無駄がない。河岸近くの文具屋パピロペ。アールヌーボー建築など眺める。路面電車でぐんぐんと河岸を進み、橋も渡って日本食材店へ。かなり広く、日本の古本を扱っている! 夜、ブラックライトシアターへ。ダンス。欽ちゃんの仮装大賞を思い出す。やたら笑う欧米客。文明批評的にタブレットを扱うのは良いが、やや長い。

◇8日目、プラハ

曇り、肌寒い。地下鉄でカレル橋へ。人が多い。絵や手芸の露店、大道音楽、膝をついた若い物乞い。旧市街のだらだら坂道に体力を消耗。カフェでトルデルニクと柔らかアップルパイ、コーヒーを。坂を登りきって城へ。ゴシック聖堂でミュシャのステンドグラスにみとれる。旧王宮の無骨なホール。黄金の小道でブックマークを買う。玩具博物館を楽しむ。橋を渡り、川沿いをユダヤ人地区へ。

お目当の中華はやっておらず、お手軽なチェコ料理店でワインと牛グリャーシュ、チェコの酸味のある芋スープ(シソの実の味)、サラダ。生姜茶。カラシニコフ持ちミーシャのポスターを見かけ、共産主義博物館へ。バツラフ広場近くにあった。思ったよりしっかりとした展示で、その始まりから終わりまでを見せる。現在の北朝鮮のパネルも。力による共産化、秘密警察。ドキュメンタリー。プラハの春、ビロード革命、立ち上がる人々の顔。私服警官の顔。30年ほど前の出来事。骨董屋をのぞき、帰る。

◇9日目、プラハ

曇りのち晴れ。郊外行きはやめる。かつて共産圏だったチェコ。客対応にわずかに往時の気配はあるが、普通の欧州の国。観光旅行ではよほど心しないと会話の機会は少ない。見て取るしかない。午前中、ホテル近くから勇んで骨董屋を巡るが軒並み休み。メトロで移動し、カレル橋近くへ。やはり休み。どうもおかしい。祝日らしい。カヌー大会が開かれている。インドカレー屋で救われる。バターチキンとマンゴージュース。地下鉄でユダヤ地区へ行き、遊覧船へ。地下鉄でホテルへ帰り、寝る。フォーのカップ麺食べて、荷物整理。

◇10日目、プラハ―モスクワ

晴れ。プラハはカフカ、ミュシャ、アールヌーボー建築の印象が強く残った。朝は出かけずゆっくり出発。地下鉄で中央駅へ。そこから空港バス。ほぼ予定通り飛び、帰った。

2016年8月、モスクワ発オーランド諸島(フィンランド自治領)旅行記録

◇1日目、モスクワ―ストックホルム

順調に昼過ぎ到着。ターミナルの木材部分に癒される。空港エクスプレス、2人で300クローネ。1クローネ=約10円。30分足らずで中央駅。公共交通3日券、2枚で460クローネ。地下鉄一駅でホテル近く。劇場前広場ではマーケット。杏子茸やベリー、青豆。正面がホテル・ヘイマーケット。元デパートという趣きあり。水道水が冷たくておいしい。出発。地下鉄、スルッセン。バスでグスタフスベリへ。郊外の工場跡に博物館など。リンドンベリさんの回顧展、なかなか良かった。リンドバーグは英語読み。カフェで緑の皮付きケーキ。生クリーム。シナモンロールを食べる妻。バスで戻る。王宮の島歩く。ラーメン食べ損ねる。ホテル近くのフードコートでレバノン串焼きとインドカレーの夕食。

◇2日目、ストックホルム

朝から近郊の蚤の市へ。競馬場近くの駐車場にずらりと並ぶが、獲物は乏しい。古着が中心。妻はハリネズミの置物のみ買う。バスと地下鉄で戻る。スルッセンの文具屋で筆箱。無印的な店。王宮の島で、本物のラーメンを食べる。骨董屋へ。リンドンベリさんのカップ、妻は「タヒチ」のカップ。カフェ。ホテルへ。船の博物館目指して路面電車で。6時近くで諦め、美しい島を散策。白鳥など。バスに乗って日本食レストラン、ブルーライト・ヨコハマへ。混んでおり、外席。ビール、蒸し野菜、鯛のカルパッチョ、豚の角煮、鮭の寿司。歴代首相の湯呑み。美味しく、高い。が、満腹に。

◇3日目、ストックホルム―マリエハムン(オーランド諸島)

朝、ホテル前の広場で蚤の市。バターナイフ買う。50クローネ。バーサ船の博物館へバスで。が、行列に驚き、歴史博物館へ。なかなか良い。3日券の最後に路面電車で戻る。老舗カフェやっておらず、エスプレッソカフェ。ヤギチーズのフォカッチャとアイスラテ。ホテルで荷物を受け取り、地下鉄で中央駅。1回35クローネと高い。空港エクスプレス、2人で300クローネ。スムーズに荷物を預け、シェンゲン協定により出国審査もなく。サーブのプロップ機で曇り空を30分飛ぶ。降りたら雨。タクシーを逃す。が、やがて来てホテル・ポマーンへ。きれいで立派。町は静かだ。ギリシャの島のような季節外れ感。ピザの夕食。ヨットを眺め、レストラン船を眺め。

◇4日目、マリエハムン

午前中は雨模様、体調もイマイチ。ゆっくりと出発。土産物屋など眺め、マリア像横を通り、林や渚を散歩。ウサギやクジャク、泳ぐ女性。郵便局へ。切手付きハガキ、妻は郵便ミニカー。銀行の両替は手数料8ユーロなのでやめ、ATMで下ろす。400ユーロ。ホテルで休む。観光案内所でコーカルへのバスなど聞く。船の博物館へ。ロシア人たち。海運の歴史。

ホテルで自転車を借り、快適にオーランド博物館へ。要衝の島の激動の歴史。双頭の鷲。クリミア戦争。非武装の自治領となった後も、冬戦争、継続戦争で一時武装していた。民族、言語、文化。先鋭的な時代も。メルセデスの塩キャラメルチョコ、7ユーロ。コーカルのタクシーを予約。自転車でバス停を確認、さらにレンタカー店へ行くも分からず(ロシア免許証の可否)。快適な自転車専用道路。晴れて気分は晴れる。帆船を眺めて休憩。ホテルへ。6時過ぎ、レストラン・インディゴで夕食。帝政ロシア時代の建物。パンとごまチーズ、バター。ワイン。小エビのオープンサンド。マスのグリル。妻はステーキ。沢山のイモ。満腹。海辺を散歩。明日に備え、荷物を詰める。

◇5日目、マリエハムン―コーカル

ホテル発8時15分、バス8時45分~9時15分、フェリー9時15分発 Langnas→ 11時45分 Kokar(無料)という予定。

予定通りのバス。よく舗装された道。牧草地、羊。豊かさ。クリミアもかくなりえたか? 文化と伝統を守り抜いた人々。フェリーにて島を移動。瀬戸内海のような穏やかなバルト海。小さな島々が無数に。船上はWiFi完備。現在では豊かなフィンランドの自治領だが、かつては戦略的要衝だった。クリミア半島や北方領土を思う。初めは曇りだったが、やがて晴れる。ハクチョウ親子が泳ぐ。ところどころ停泊。ロシア人らしき家族も。島の間を縫うように静かに、時間通りにコーカル島へ到着。

予約したタクシーが来ており、ホテルへ。窓からは静かな水辺の美しい景色。外へ。カフェは休業で、役場隣のスーパー。地元サイダー、リンゴ、イチジク。地元の蜂蜜入り黒パンで昼ごはん。ベンチに腰掛け。妻はミカンと紙ナプキンなど。部屋に置き、出発。タクシー運転手に勧められた北のハムノーを目指す。ハイキングルート。湖。マリモに驚き。トロール伝説。素晴らしいコース。放牧の白い牛たち。やがて迷う。海に出てから道を失い、滑らかな岩場と潅木を踏み越えて進む。子鹿が逃げた。1時間ほどで脱出。ロシアの砲台跡から道に戻る。ハムノーは諦め、快晴の下、戻る。3時間半ほどのハイキング。スーパーでまたサイダーと、蜂蜜を買う。

ホテルのテラスで、フィンランド人のおじさんに声をかけられらる。地元の人たちの休みは6月から7月末のため、すでにオフシーズンだと。船に誘われ、定番というジン・グレープフルーツとフィンランド・コニャックをご馳走に。おじさんたち2人とおしゃべり。島を持っているという。かつてスキー用具K2のプロモーションで東京に行ったことがあるという。特設コースを滑ったとか。母は100歳。もう1人は娘がニュージーランド人と結婚したばかり。ロシアについて。他の国はフィンランドの対露外交を批判的に評論するが、離れた国と接した国では違うということ。ましてや戦争の歴史。戦後の苦労、賠償金と産業発展。ロシア離れはいいことだ、と。ロシアでのメディア受容状況に関心。共にロシアの隣国であるフィンランドと日本。バルト三国とはまた少し違った対露感情が垣間見えた。

7時から絶景のサンルームで夕食。殻つきエビのバターソテー。手づかみでしゃぶり、最高。スパークリングワイン。地元牛肉ステーキ、ポテトグラタン付き。ヨットで寄港し、食事をとるフィンランド人やドイツ人など。違う世界。鹿の家族が歩く。食後、散歩

◇6日目、コーカル―マリエハムン

8時朝食、8時40分タクシー、9時出港。予定通り。快晴。自転車の1日。二カ所、ロッピスことセカンドハンドへ。アラビアの皿。自転車で要塞跡を目指すのはあまりに無謀だった。疲労困憊。夜はピザとコーラをテイクアウト。

◇7日目、マリエハムン

8時起床。曇り。充実の朝食。午前中、レンタカーへ電話。正午前に借りることになる。雨。図書館、ホテル、タイ料理店でパッタイ。レンタカーはマニュアル車しかないと判明し、断念。キャンセル料なし。1時過ぎのバスで帝政ロシア時代の要塞跡、Bomarsundへ。昨日自転車で通った道を駆け抜ける。19世紀に帝政ロシアが建てた大きな要塞跡。蜂の巣状の石組みが残る。ロシア語の石碑。キャンプ場。静かな浜。小さな博物館。

2時間後のバスでスウェーデン時代の城、Kastelholmsへ。4時過ぎに。カフェでおやつ。英語を解さない店の女性。あちこちから古い農村家屋を集めた野外博物館も。城は小ぶりで地味な。鈴なりのリンゴ。甘いのも渋いのも。バス停近くのカフェBakaで地元産レモネード。バス停にはロシア人母娘。5時半過ぎのバスはマリエハムンには行かず。母娘はヒッチハイクで去った。天気は雨のち曇り時々晴れ。バス停で1時間待ち、帰る。インディゴの二階、ビストロへ。タルタルステーキ、マスのスモーク、地ビール、地リンゴジュース。ライムチーズケーキ、メルセデスのチョコ。風呂に入って寝る。体が重い。

◇8日目、マリエハムン―ヘルシンキ

曇り。朝食後、予約したタクシーで8時発。10分で空港に。お代は13ユーロ。観光の魅力に富んだ島だ。地元産農畜水産物、優れたレストラン、ホテル、自然環境、複雑な歴史と遺跡。さらにカジノも。小さな空港ながら居心地の良いカフェがあり、搭乗前の待合ロビーには免税店も。歴史的ビールもあった。ほかに日本人らしいカップルの姿も。初日にピザ店でみかけた若い自転車の2人以来か。

AY580, 10:00 Mariehamn – 10:50 HEL

ヘルシンキには空港快速が登場していた。公共交通2日券。中央駅から地下鉄一駅。Apartmenthotel Citykotiへ荷物を預け、歩く。日本食品店、東京館に興奮。日本食レストラン、寿司バー増えている印象。デパートのカフェで軽食。キッシュとシナモンロールとカフェラテ。物価は安くはない。

マンネルハイム博物館へ路面電車で。港近くの高台にある旧居。ネクタイを締めたおじさん係員たちが迎えてくれる。英語ガイドの一行に加わる。アジア的風貌のロシア人父娘、案内のフィンランド人男性。暮らしたままの調度品だ。個人史と品々の説明が中心。元帥のフィンランド系ではないルーツ。帝政ロシア軍人としての栄達。日露戦争で出世。アジア冒険旅行で日本へも行っている。帰国後、ニコライ二世に直接20分強、進講。ロシア皇室の写真。旭日勲章、ナチスの勲章などなど。巨大な虎の毛皮敷物。一所懸命の英語による説明。「ヨー、ヨー」とフィンランド語が混じる。

港の市場、無料休憩所へ。中国人が多い。トラムで帰る。東京館へ。ラーメン、蕎麦、ラー油、煎餅など買う。スーパーではブルーベリー、ビールなど。夕飯はカップヌードル・カレー味と青豆、ブルーベリー。

◇9日目、ヘルシンキ―モスクワ

朝、ぶらりと散歩。テンペリカウオキ教会へ。中国人と日本人とロシア人が目立つ。妻と合流後、近くのセカンドハンドへ。かつて台湾に住んでピアノを教えていたというおじさんとおしゃべり。ミッケリの出身。母親がかつて馬に乗っていてマンネルハイム元帥の近くを通ったとか。自作のCDをいただく。路面電車で進み、細長い公園での「クリーニング・デー」をのぞく。近くの寿司バー「ウメシュ」でアサヒビールと寿司。なかなか良かった。

路面電車で移動し、駅前へ。風が強い。3時半頃、友人女性二人と合流。大通り公園のクリーニング・デーへ。価値あるものは高い印象。ウクライナの勲章、ピオネールの帽子など売るおじさんとおしゃべり。ニコラエフ出身で造船技術者。空母ワリャーグの改修にも携わったという。売店で買ったソフトクリームは美味いがでかい。4時半、アパートへ。5時、駅へ。空港快速で行く。滞りなく帰国する。