いよいよ当地はマイナス十度台に突入。この辺りで旧ソ連の空気を吸っておきたい。
ピョートル大帝が建てた旧帝都サンクトペテルブルクでは、ついつい帝政時代を意識してしまいがちである。モスクワでは地下鉄を使うたびに駅の古い装飾で「ソ連礼賛」を意識し、地上では巨大なスターリンビルに見守られてしまうのだが、ペテルではそうはいかない。ソ連は帝政ロシアに負けている。
それではいけない。ここは「革命の故地」である。ゆえに「国立ロシア政治史博物館」(Музей политической истории России)へ行き、革命の何たるかを頭に叩き込んできた(はずだ)。
◇
ニコライ2世(最期のロシア皇帝)の元恋人でバレリーナだったマチルダ・クシェシンスカヤが所有した大邸宅が、ソ連時代以降、政治史博物館となった。貴族の邸宅に匹敵するほどの豪壮で広い建物であった。
〈※ちなみにマチルダ・クシェシンスカヤの名前を最近どこかで見たなと思ったら、彼女の短い伝記が教科書の練習問題文に登場していた。彼女は幼少の頃からバレリーナを目指し、名門マリンスキー劇場専属に。当時、皇帝一家はしばしばバレエを鑑賞。皇太子時代のニコライ2世と両思いになったが、マチルダは貴族出身ではなく、結婚は許されなかった。彼女はバレリーナとして成功。もし、皇妃となっていたら、革命後、処刑されていた可能性が高い〉
◇
この建物に、亡命先のスイスから到着したばかりのレーニンが演説をぶったバルコニーがあるのは知っていた。実は、そのバルコニーがある部屋こそ、一時、彼の執務室であった。デスク周りが再現されている。この建物にスターリンなどボリシェビキの幹部たちが集まって、方針を決めていたようである。これだけでも革命の故地を知るため、見る価値があろう。
革命の勃発、赤軍対白軍の内戦および各国の干渉(日本のシベリア出兵の写真も)、スターリン時代の国家建設と暗黒面、フルシチョフ時代――と、ソ連の歴史を追うことができる。
内戦期の互いを敵視したポスターや、当時の軍服などが飾られ、実物ならではの迫力がある。時代は一気に飛んでソ連崩壊の展示もあり、ソ連を構成した各共和国内で離脱の動きが加速していった様や、ソ連末期の時代の空気を、ポスターや新聞、映像などから読み取ることが可能だ。
なぜかロシア、ソ連における「死刑の歴史」を紹介する特別展示があったり、子供博物館の部屋があったり(レーニンやスターリンが好んだ帽子などをかぶって記念撮影可)、部屋に入るごとに突然コンセプトが変わるので、いちいち革命的な博物館であった。
◇
貴重な実物の展示も多い。スターリンの後を継いだフルシチョフの私物一式、世界初の宇宙飛行士ガガーリンの軍制服。さらに、最期の皇帝ニコライ2世が皇太子時代に来日した際、巡査に切りつけられた「大津事件」ゆかりの品もあった。
子供博物館の部屋で、さりげなく壁に飾られていた笠と弓がそれだという(「日本からです」と係員のおばさんに話したところ、教えてくれた)。謝罪の贈り物の一品だという。
ソ連時代の暮らしを再現した展示では、受話器から当時のアネクドートの朗読が延々流れ続ける公衆電話があり、大変気に入った。CDがあったら買いたかったほどだ。
「どうしてこの店には魚がないんだ?」「肉はない。魚もない。なんにもない!」
◇
外へ出ると午後3時過ぎの太陽は低いなだらかな弧を描いて弱々しく沈み始めていた。そしてネバ川は見事に雪原と化していた。歯にしみる冷たさの川風を浴びながら、シベリア抑留に遭った人々を少しだけ思った。