今年11月で100年となるロシア十月革命。二月革命から十月革命に至る動きを詳述する。「物語」とうたうが、登場人物が多く、複雑な革命の動きをしっかりと書いているため、歴史書に近い。創作的要素は排除したとあり、ストーリーよりも事実を最優先したという。二月革命後、事態は複雑な経緯をたどった。レーニン率いるボリシェビキの十月革命が必然ではなく、さまざまな革命勢力の中で最後に勝利したに過ぎないと読んだ。《レーニンが特に傑出しているのは、政治的な時機を見きわめるセンスだ》(24頁)
大事なことの一つは、《攻勢が始まる以前からあった厭戦気分は、厖大な数の兵士やその家族や支援者、労働者や農民にすぐに戦争を終わらせなければという意識を生み出し、ボリシェビキに政治的な影響力を与えた》(218頁)、《憎むべき戦争と、数十万の命を奪った破滅的な攻勢への怒りはすさまじかった》(259頁)。
また、反革命に動いたコルニーロフ将軍による8月の「コルニーロフ事件」も重要だ。《コルニーロフの反乱が失敗したことで、政治の舵はまた左に切られた》(310頁)
そして十月革命。劇的な場面。《午前三時三〇分、巨大な影が、薄暗いネヴァ川の水面を切り裂いた。(中略)薄闇から現れ、首都の中心をめざしていくのは、装甲巡洋艦〈アヴローラ〉だった》(375頁)。淡々とした場面。《反乱勢力は歩いて入るというだけの手段で、ミハイロフスキー宮を占拠した》(377頁)。《「臨時政府のみなさんにお知らせする」とアントノフは言った。「あなた方は逮捕されます」》(399頁)
革命に大きな影響を与えた第一次世界大戦。ソビエト政府とドイツは一九一八年三月、ブレスト=リトフスク条約を結ぶ。《ロシアは平和を得るものの、帯状の広大な土地と人口を失う。しかもその大半が最も肥沃な地方で産業と金融の源泉でもある》(410頁)
著者からのメッセージ。《この一九一七年に引き続く希望の、苦闘の、敗北の物語は、過去にも語られたし、未来にも語られるだろう。この物語と、何よりそこから生じるすべての問いかけ――変化は必要か、変化は可能か、どんな危険がつきまとうのか――は我々を超えたはるか先にまで伸び広がっている》(407頁)
《一九一七年の革命は、列車の革命だ。歴史は冷たい金属の悲鳴のなかを進んでいく。側線に入れられたままのツァーリのお召し列車、レーニンの封印列車(中略)。マルクスは言った。革命は歴史の蒸気機関車であると。「蒸気機関車をトップギアに入れて」とレーニンは、一〇月からほんの数週間たったころ、ある私信で自分に活を入れている。「線路の上を走らせつづけろ」》(422頁)
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個人的メモとして。《彼(※レーニン)はイヴァル・スミルガあてに手紙を書いた。フィンランドで軍・艦隊・労働者の地域執行委員会の議長を務める、極左ボリシェビキの人物である》(335頁)。スミルガ氏はスターリン時代に粛清される。その娘であるタチアナさんから直接話を聞いたのは貴重な経験だった。
《夕方の街は、奇妙な均衡状態にあった。(中略)地位のある市民たちは、いつものように連れだってネフスキー大通りをそぞろ歩き、レストランや映画館もほとんど営業していた。蜂起の兆しは普段と変わらぬ街の夕暮に隠れていた》(369頁)。10月に入ってのペトログラードの描写。ウクライナ東部ドネツク市における、親露派台頭時と共通している。