ルビヤンカの3分クッキング

モスクワには何カ所か、重々しい場所がある。重苦しい場所と言ってもよいかもしれない。ロシアの中枢部たるクレムリンがそうだろうし、FSB(連邦保安局、旧KGB)本庁舎が鎮座する大ルビヤンカ通りもそうだ。

今日、仕事上の必要があり、この大ルビヤンカ通りで写真を撮っていた。鉛色の曇り空、冷え切った空気、渋滞する車。たった700メートルしかない通りだが、歴史的建造物がいくつかある。最初は通りの奥の方でそうした建物を中心に撮影していたのだが、一段落したので通りの手前へ、FSB庁舎の近くで撮影を再開した。

それなりに使える風景写真を撮るのは根気がいる。通行人がある程度いないと様にならないからだ。FSB庁舎がややミステリアスに写るようアングルを決めて、夢中でしばらく撮っていた。

そこそこ撮れたかなと、カメラのモニターで確認していたとき、ふと気づくと、隣に険しい表情の私服の男がいた。話しかけてきた。腕を引っ張られた。「ちょっと来てもらおうか」。身分証などを見せて、「あなたは誰か?」と問うと「×××の職員だ」という。肝心の部分は聞き取れなかったが、治安機関であることは明らかだ。

困ったぞ、と我が事務所のロシア人スタッフに電話をかけ、男と話をつけてもらおうしたが、男は「その必要はない。いいから来てもらおう」としつこく引っ張る。しかたなくついて行くと、FSB庁舎向かいの、やはり重厚な建物に連れられ、玄関で若い警察官に引き渡された。

警官いわく、「『ルビヤンカの2』は部分的にも撮影してはいけない」。「ルビヤンカの2」とはFSB庁舎の住所だ。「写真を全部消しなさい」。「これからどうなるのか?」と聞くと、「上に相談する」と言った(気がする)。いよいよまずい。

どこかと電話で連絡をとる警官をおとなしく待ち、戻ってきた彼の目の前で当該の写真数十枚を消去した。そういえば、ロシアでは軍施設などが撮影禁止だったなあと思い出す。「撮影してはいけないとは知らなかった」と釈明すると、警官は「これで分かったろう。次からは特別な許可なしに撮影してはだめだ」とあっさり解放してくれた。

せっかくなので「許可はどこで取れるのか?」と聞くと、「FSB庁舎の中に担当部署がある」との答えだった。ルビヤンカという場所が場所だけに、背筋を氷のかけらが通り抜けていくような3分間(おそらく)だった。事務所に帰ってスタッフに話すと、「近付きすぎたのね。さっき改めて電話したのに出ないから、手錠をかけられているかと思ったわ」と笑われた。

ご用心、ご用心。

困ったら、ドラえもんの鈴

妻が風邪を引いてしまったので、昨日、今日と晩飯を作った。食材は週末の午前、超大型スーバーで買い溜めしたので不足はない。

たとえば、生姜、ニンニク、人参、豚肉、大根、キノコなどがあったので、昨日は豚汁にした。味噌はちゃんと日本製が売っているのだ。出汁がわりに、キノコブイヨンを入れたら、キノコ×キノコでキノコ臭が強い豚汁になった。刻み生姜のお陰でなんとかなったが。ちなみに豚肉は薄切りや細切れはほとんど見かけないので、大ぶりの肉片を惜しげもなく投入した。

今日。寒さが本格化した中での外回りで疲れたこともあり、手早く晩飯を作りたかった。

困ったら、「ドラえもんの鈴」である。それは冷凍庫に入っている。

つまりは、冷凍ペリメニだ。ペリメニとはシベリア餃子。小ぶりで、中には豚肉や羊肉が入っている。主にスープの具として食べる。茹でて、生姜醤油で食べるのもなかなか乙だ。冷凍の状態だと、形がドラえもんの首の鈴に似ている。

すでに、我が家の定番ブランドがある。赴任後間もないある日、スーパーで冷凍ペリメニを物色していると、恰幅の良いロシア人のおばさんが「これが一番いいわよ!」と突然、アピール。以来、そのサンタクロースのような白ひげマークを買い続けている。

今日は風邪対策で、ニンニク、生姜をたっぷり入れて、人参と長ネギ(わりと普通に売っている)も。さらに、ブラウンマッシュルーム。ことキノコに関しては、こちらのものは味が濃厚でうまい。さすがは、秋にキノコとキイチゴを摘みに行くお国柄である。

火が通れば出来上がり。味も上々。かくして、ドラえもんの鈴は困ったときに役に立つ。今、こいつを何とか上手く焼き餃子にできないかと、野望を抱きつつある。

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「大統領は悪くない」

ソチでは、主として五輪に伴う開発に不満を持っている人たちと会って、話を聞くのが仕事だった。郊外の地元住民やNGOのメンバーらだ。具体的な損害を受けていたり、目撃したりしている人たちだ。そして、彼らのほとんどは地元出身の人たちである。つまり、モスクワやサンクトペテルブルクのような大都市の住民では全くない。

興味深いのは、不満を訴える住民のうち複数の人たちが「役人が悪い」と主張していたことだ。「プーチンはきちんと指示していたのに」とか「大統領に請願の手紙を送ったが、多分届けられていないのだろう」と話す。

すなわち、「大統領は悪くない」という考えの人たちが多かった。これは大変新鮮だった。

中でも、現場を案内してくれた環境グループのドライバーの男性が「これはプーチンのせいではなく、地方政府が悪い!」と力説し、仲間の女性たちと口論になっていたのが印象的だった。

今春、留学から戻って、とあるロシア専門家と食事していた際、「留学先でロシア人たちと話してみて、なぜ今もプーチン大統領があれだけの支持を得ているか分かりましたか?」と訊ねられた。その時は分からず、答えられなかった。

先の大統領選挙で、プーチン氏の支持率が特に低かったのは、モスクワとサンクトペテルブルクであった。政治意識が高いとされる中間層の住む大都市だ。地方では、まだまだ支持率を保っていた。

様々な説明がなされているようだが、理由の一つには、この「大統領は悪くない」=無謬信仰がありそうだ。

〈皇帝は悪くない、悪いのは君側の奸だ、官僚どもだ〉

どこか帝政時代を感じさせる。

そして、何かの事件をきっかけにこの無謬信仰が解けてしまったら、一見、盤石に見えるプーチン体制はもろくも崩れるかもしれない。ひょっとすると。

帝政ロシア時代の1905年、当時の首都サンクトペテルブルクで起きた「血の日曜日」事件で、皇帝崇拝の幻想が砕かれ、革命へのレールが敷かれたようにーー。

モスクワやサンクトペテルブルクだけでは見えないロシアが確かにあるようだ。

◆月刊ソチ五輪:住宅地に迫るゴミの山 環境破壊、憤る住民

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今日のアネクドート三連発

神よ、私に力を、忍耐力をお与えください。えーとそれから、万一に備えて、100万ドルも!

※何は無くとも、金なり。

時として、善を為したいことがある。公共交通でご老人に席を譲るとか。

でも、残念。いつも回転灯つきのベンツに乗ってるから、立ってるお婆さんはいないんだよなあ。

※VIP御用達の回転灯さえあれば渋滞知らず。

「わたし、彼を裏切ったことなんてホントに一度もない!」
「まさか、一度もないなんて信じられない」
「うーん、残念ながら……」

※正直者

コムソモリスカヤ•プラウダ紙より
(ただひたすらロシア語学習のために)

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暮らしの基本ーー米と魚

近所の市場では、野菜をうまく買うのはまだ難しいが、安心して買える商品もある。

まずは米だ。日本人の食生活の要だ。

場内のとある日本食材店(寿司レストラン向け仲卸のようにみえる)では、寿司用と書かれたカリフォルニア米(しかも無洗米)が、22キロで1400ルーブル(4200円)。すなわち、キロ当たり190円。5キロなら1140円。十分安い。日本で買う国産米より安い。味も悪くない。冷凍ご飯を温めても、普通においしい。

続いて魚。日本人なら刺身が食いたい。

同じ店で冷凍マグロ(インドネシアなど東南アジア産)の切り身が500グラムから買える。キロ750ルーブル(2250円)。二人で一晩に250グラム食べたら満腹だったので、この量が日本での大き目の1パック相当と仮定すると、これで約560円。冷凍とはいえ、マグロ1パック560円はお値打ちだ。

上手な解凍方法はあちこちに紹介されている。すなわち、ボールに入れた40度くらいの塩温水に数分浮かせ、外側が解けたら水気を拭って、あとは冷蔵庫内など低温でじっくり数時間かけて溶かす。これにより、旨味を含んだ水分「ドリップ」が流れ出ないという。

刺身のために、わざわざ近所の高級スーパーでS&B社のチューブワサビを買った。700円ほどしたが、背に腹はかえられない。安物のワサビは色鮮やか緑の「絵の具」だから。

時間をかけて解凍した500グラムの切り身の半分はそのまま刺身で食べ、残る半分は「漬け」に。翌日昼、海苔を散らしたマグロの漬け丼はうまかった。

徒歩20分の市場から、買い物カートに計23キロの米とマグロを積み、荷馬車よろしくノロノロと帰ってきた甲斐はあった。

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読書記録『プーチン、自らを語る』

読書記録『プーチン、自らを語る』(N・ゲヴォルクヤンほか、扶桑社)

自分の本は船便でまだしばらく届かないので(今月中旬にようやくハンブルクに上陸するらしい)、事務所にあった本や前任者が家に置いていった本を読んでいる。もっともこの本は、日本語版を入手しようとしたが既に絶版で、英語版を買ったものの読んでいなかった。だから、ちょうど良かった。

初の大統領選を直前に控えた、大統領代行時代のプーチン氏と周りの人たちへのインタビューで構成された本だ。ロシア版は2000年3月に刊行された。13年前の肉声や、近しい人たちの証言から、興味深い部分を抜き出してみた。

ロシア最大のキーマンの若かりしころを知るためには不可欠の一冊。ぜひ文庫化してほしい。

   ◇   ◇

▽(略)ギターを弾くのは別で、夢中だったのです。ヴィソツキーをよく歌い、映画『ヴェルチカーリ』の曲はほとんど歌えました。(学校4年から8年まで教えた女教師、ヴェーラ・グレヴィッチ談)

▽私がKGB人事部の誘いを受けたときには、スターリン時代の粛正については考えなかった。KGBに対する私の思いはロマンチックなスパイ物語から始まったものだ。私はいわば、ソ連の愛国主義的教育の生み出した純粋かつ完全な生徒だったのだよ。(本人談)

▽彼にショスタコヴィッチの交響曲第五番について聞くといい。彼は最初にそれを聴いて気に入って、私も彼に解説しているので、多くを答えてくれるよ。(友人でチェロ奏者のセルゲイ・ロルドゥーギン談)

▽プーチンはピョートル大帝の肖像画を注文した。(略)版画だった。晩年の大帝を描いており、彼の改革が最盛期を迎えた頃のものだった。(略)大帝はどこか悲しげで、何かに心を奪われているように見えた。(サンクトペテルブルク市勤務時代の同僚、ウラジーミル・チュロフ談)

▽それを考えているときに、大統領府第一副長官に任ぜられたのだ。地方の監督と首長との連絡をまかされた。今でも、あれが一番おもしろい仕事だったと思っている。(本人談)

▽我々が当時すぐにあの過激派を止めなければ、ロシア連邦全体が第二のユーゴスラヴィアになることを私は確信していた。ロシアのユーゴスラヴィア化だ。(チェチェン紛争について本人談)

▽最初、ロシアは強力な中央集権国家として生まれた。したがって、国の遺伝子や伝統や国民の精神の中に、中央集権の情報は刻み込まれているのだ。(本人談)

ソチの市場でグルジア銘菓を買う

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黒海沿岸の太陽の街ソチへの出張の折、通訳兼助手のロシア人女性に誘われて、アドレル地区の市場へ行った。クラスノダール市に住む彼女のお目当ては、柿(4キロも買っていた)とチュルチヘラだった。

チュルチヘラはグルジアの名産品で、グルジアではどこの庭先にも必ずあるブドウの果汁を煮詰め、クルミなどの木の実に絡めて固めた素朴なお菓子だ。木の実にはヒモが通されているので、独特の棒状の姿でつり下げられて売られている。

彼女は上司への土産にするそうで、中のナッツが新鮮かどうかもしっかり確認していた。右にならえで、4、5本買った。帰ってから輪切りにして食べてみたら、ほんのりとしたブドウの風味と香ばしいクルミの味わいが口に広がった。ウイスキーやワインのつまみに最適だ。

   ◇

ところで、なぜソチでグルジアの銘菓が売られているかと言えば、答えは簡単だ。アドレル地区はグルジア国境に面した街だからだ。ただし、グルジアではあるが、ロシアの後ろ盾を得て独立宣言したアブハジア(自治共和国)に隣接している。アブハジアは元々アブハジア人が多く住んでいたが、グルジア人が入植を進め、圧倒するようになった。

ゴルバチョフ登場後の89年ごろ、アブハジア人がグルジアからロシアへの帰属替えを求めて蜂起。ソ連崩壊後の92年には分離独立を目指すが、グルジア軍と衝突。ロシアの介入を経て94年に停戦した――という経緯がある(電子辞書の百科事典を参照)。

   ◇

ソチでの初日、ホテルで呼んでもらったタクシー運転手の中年男性はアブハジアに住んでいたグルジア人だった。聞くともなしに「戦争があったから、ソチへ移ってきた」と語った。こちらが日本人とわかると、「昔、極東の技術学校で学び、漁業のエンジニアになった。サハリンに住んだことがあるし、漁業の仕事で色丹島にも行ったことがある」と口にした。

アドレル地区からソチ地区までの小一時間、短くソチの近代史を教えてくれた。曰く、スターリンの側近だったグルジア人革命家が、当時はグルジア領だったソチをロシアに租借した。租借なので期限付きだが、そこはそれ。こうしてソチはロシア領になった、と。どこまで本当か分からないが、そんな話だった。

   ◇

それにしても、ソチは伊豆半島や熱海に雰囲気が似ていた。温暖で山が海に迫り、昔ながらの保養所がいくつも並んでいる。そこが今、オリンピックへ向けた大開発の現場となっている。伊豆や熱海でオリンピックを開催すると想像したら。開発にどこか無理があるのは当然という気がする。

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Редкая матрешка しっとりマトリョーシカ

Кто сделал эти замечательные матрешки? Я нашел их в магазине в сочинском аэропорту. Мне эти понравились. Но к сожалению продавец не знала имя этого художника. Они стоят дорого, поэтому я купил самую маленькую матрешку.

モスクワへ帰る飛行機が2時間遅れて、ぼっーとしながらソチの空港をぶらぶら。なんとなく入った土産物店で、これまで見たことのないマトリョーシカやクリスマス飾りの一群を発見した。ツヤツヤしてない、しっとりしている、絵が繊細、の三拍子。モチーフも良い。

店番の女性に聞くと、どこぞやで仕入れてきた作家もので、天然塗料を使っているとか。ロケット•セットやクリスマス飾りセットにも惹かれたが、作家ものだけに高い。一つ1万円ほどもする。というわけで、一番お手ごろだった小型マトリョーシカ(といっても実は起き上がり小法師)を買った。

残念ながら、どこの誰が作っているか分からないが、良いセンスの持ち主だと思います。

心当たりある方はご連絡を。

(端的に言って、この絶妙なしっとり加減は日本で人気を博すと思う)

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ソチで柿を喰らう

出張でやってきたロシア南部のソチは晩秋の今も最高気温20度もある。寒くて曇り空続きのモスクワとは別世界だ。輝く太陽、黒海、そびえるカフカス山脈。ロシアにおける沖縄のようでもあり、山と海の近さは伊豆半島のようでもある。

その秋のソチ名物は柿(Хурма、フルマー)だった。

ロシアで柿がなる場所は他にあまりないらしい。ここでは、少し中心部を離れると民家の庭先に柿が鈴なり。ミカンも時々見かける。そんなわけで、仕事で訪ねた先でも沢山柿をご馳走になった。街の市場でも1キロ140円ほどの安値で売っていた。

木からもぎ取ったばかりの熟柿は格別。こちらでは「шоколадная」(チョコレートのような)と形容していた。中も外も夕日のような濃いオレンジ色だ。味も濃厚で甘かった。皮は剥かずに丸かじりがロシア流らしい。若い柿は当然、皮ごとだと渋すぎるので要注意だ。

仕事の都合で夕方食事し、残業し、夜遅く腹の減った今日、大量にもらった柿を食べ出したらついつい連続3個。最後の1個が渋かった。人生そんな日もあるさ。喉がひりつくが我慢して寝よう。

これがホントの「シブがき隊」(渋柿、耐え)。お後がよろしいようで!

……疲れている。寝よう。

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