モスクワには何カ所か、重々しい場所がある。重苦しい場所と言ってもよいかもしれない。ロシアの中枢部たるクレムリンがそうだろうし、FSB(連邦保安局、旧KGB)本庁舎が鎮座する大ルビヤンカ通りもそうだ。
今日、仕事上の必要があり、この大ルビヤンカ通りで写真を撮っていた。鉛色の曇り空、冷え切った空気、渋滞する車。たった700メートルしかない通りだが、歴史的建造物がいくつかある。最初は通りの奥の方でそうした建物を中心に撮影していたのだが、一段落したので通りの手前へ、FSB庁舎の近くで撮影を再開した。
それなりに使える風景写真を撮るのは根気がいる。通行人がある程度いないと様にならないからだ。FSB庁舎がややミステリアスに写るようアングルを決めて、夢中でしばらく撮っていた。
そこそこ撮れたかなと、カメラのモニターで確認していたとき、ふと気づくと、隣に険しい表情の私服の男がいた。話しかけてきた。腕を引っ張られた。「ちょっと来てもらおうか」。身分証などを見せて、「あなたは誰か?」と問うと「×××の職員だ」という。肝心の部分は聞き取れなかったが、治安機関であることは明らかだ。
困ったぞ、と我が事務所のロシア人スタッフに電話をかけ、男と話をつけてもらおうしたが、男は「その必要はない。いいから来てもらおう」としつこく引っ張る。しかたなくついて行くと、FSB庁舎向かいの、やはり重厚な建物に連れられ、玄関で若い警察官に引き渡された。
警官いわく、「『ルビヤンカの2』は部分的にも撮影してはいけない」。「ルビヤンカの2」とはFSB庁舎の住所だ。「写真を全部消しなさい」。「これからどうなるのか?」と聞くと、「上に相談する」と言った(気がする)。いよいよまずい。
どこかと電話で連絡をとる警官をおとなしく待ち、戻ってきた彼の目の前で当該の写真数十枚を消去した。そういえば、ロシアでは軍施設などが撮影禁止だったなあと思い出す。「撮影してはいけないとは知らなかった」と釈明すると、警官は「これで分かったろう。次からは特別な許可なしに撮影してはだめだ」とあっさり解放してくれた。
せっかくなので「許可はどこで取れるのか?」と聞くと、「FSB庁舎の中に担当部署がある」との答えだった。ルビヤンカという場所が場所だけに、背筋を氷のかけらが通り抜けていくような3分間(おそらく)だった。事務所に帰ってスタッフに話すと、「近付きすぎたのね。さっき改めて電話したのに出ないから、手錠をかけられているかと思ったわ」と笑われた。
ご用心、ご用心。