有名だけれど読んだことのなかったスパイ・スリラー小説。何の気なしに手に取った。これが実は国家や領土、独裁について参考になるテキストだった。
舞台は60年代の西欧、暗殺の標的となるのはフランスのシャルル・ドゴール大統領である。なぜか。独立機運が抑えられなくなった植民地アルジェリアの放棄政策を進めたためだ。これを認めない軍の一部と右翼が暗殺を狙って反体制秘密軍事組織OASを結成するに至る。実際、複数回の暗殺未遂事件が起こされた。
こうした実話を元に、最後の切り札として狙撃を依頼された謎の男、ジャッカルが登場する。
巨額の仕事を頼むOASのリーダー格、ロダン大佐は仏領インドシナとアルジェリアで部下たちを失い、「自らの血を流して犠牲になる兵士たちを、地の塩として崇敬していた」。だから、一度は支持したドゴールの「裏切り」が狂信的なまでに許せないのである。
彼は言う。「われわれは、現在フランスは独裁者に支配されている、彼は祖国を傷つけ、その名誉をけがした、と信じている。そしてまた、彼の政権を倒し、フランスを真のフランス人民の手に取り返すには、彼をまず抹殺しなければならないともね」
ドゴール側近のフレイ内相はフランスにおける元首暗殺の恐ろしさをよく理解していた。「国家によっては、たとえば二十八年前のイギリスや、その年の暮れのアメリカのように、大統領の死や国王の廃位によっても崩れることのない、安定した機構をそなえているところもある。しかし、一九六三年のフランスは、国家としての組成から考えても、大統領の死はすなわち、暴動と内戦の序幕にほかならない」
こうしたストーリーを愛国ムード高まる今のロシアで、日本人として読んだとき、脳裏を横切るのはこの国の大統領と、未解決で残された日露の領土問題のことである。
もしも領土返還交渉が仮に2島だけでも進んだとしたら、ある層にとっては「クリミアを取り戻した英雄」が「クリル(千島)を売り渡した売国奴」に転じかねない。そして「大統領の死はすなわち、暴動と内戦の序幕にほかならない」かもしれないーー。
前半はそんな空想にふけりながら読んでいたが、後半はページをめくる手が自然と早くなった。欧州を巧みに飛び回り暗殺の日へ向けて着々とパリへ近づいていくジャッカルと、阻止しようと奮闘するルベル警視との神経戦に目が離せなくなる。
最後に付け加えれば、著者は60年代当時、ロイター通信パリ特派員としてドゴールと周辺の取材を経験していた。この作品には内部記録やオフレコ談話を駆使したのだという。優れた人物造形やストーリー展開に、ほかの作品も読んでみたくなった。