『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』とワインをたっぷり飲んだ夜の午前0時45分

久しぶりに村上春樹の小説を読んだ。前に読んだのは『国境の南、太陽の西』だったか。そのあと、村上訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(ライ麦畑でつかまえて)を読んだのだと思う。

新刊書き下ろしの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』である。妻が職場で借りてきたのを、又借りして読んだ。それくらいの熱意である。そのわけは、村上春樹特有の洗練されすぎている会話のやり取りや、時々こねくりまわしすぎた比喩が素直に受け取れないからだろう。

どの曲を聴いても何となくおなじみの調子だなあと感じられてしまう、往年のロックスターのような存在だ。だからって、たまに聴けば悪くない。という感じだ。(と、まねして比喩的に表現したくなってしまうのも困りものだ)

たとえば。

《「哲学的な省察は、君の今日の着こなしによく似合っている」とつくるは言った。》

といった、会話だ。ああ、村上春樹は相変わらず安定して村上春樹だなあと思う。

そんな具合で斜に構えて読み出したのは、「喪失」の物語だった。具体的に言えば、高校時代の男女5人組の固い絆を大学時代、理由もなく唐突に失った30代男の喪失と回復の物語である。自分を取り戻す旅だ。

多くの人は30代まで生きれば多かれ少なかれ、人間関係において失ったものがあるはずだ。それが10代、20代で失ったものであれば、傷跡を痛く感じられるのは30代までではないだろうか。いずれにしても、失った何かを忘れていない人にとっては、この小説は身に迫るストーリーであるだろう。主人公が繰り返し独白する自己卑下に多少辟易としたとしても。

村上春樹の小説には色彩や音楽はたっぷりとある。取り上げられた楽曲が急に売れ出すほどの影響力もある。けれど、彼の小説から匂いはほとんど感じられない。今回の小説の主人公の故郷は名古屋市だけれど、名古屋市である理由は、さほど多くはないのではないか。東京ではないこと。多くの地元民がそこから出なくても満足して生きていける都市であること。少なくとも、名古屋の匂いは感じられない。新宿にしたってそうだ。

それが村上春樹の小説なのだろう。精巧で美しい、職人の個性を盛り込んだおなじみのからくり細工のような。《哲学的な省察》や練った比喩のきらきらとちりばめられた。だから国際的に人気が高いのだろうか。

   ◇

甘さを抑えた大人向けの小ぶりのチョコレートケーキみたいな小説だった。後味は悪くないし、記憶にも残る。そして、「箴言」が稲妻のようにページに現れる。

《三十分という時間は、十六年ぶりに再会する二人の旧友にとってたしかに短いものだったかもしれない。そこで語られなかったことは数多くあったはずだ。しかしそれと同時につくるには、二人のあいだで語られるべき大事なことはそれ以上ほとんど残っていないようにも感じられた》

《「事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ。時間が経てば経つほど砂がますます深くなっていく場合もあるし、時間の経過とともに砂が吹き払われ、その姿が明らかにされてくる場合もある」》

《「どんな言語で説明するのもむずかしすぎるというものごとが、私たちの人生にはあります」》

   ◇

一際激しく稲妻が光った。

《「でも不思議なものだね」とエリは言った。「何が?」「あの素敵な時代が過ぎ去って、もう二度と戻ってこないということが。いろんな美しい可能性が、時の流れに吸い込まれて消えてしまったことが」》

かつての親友の一人だった女性、今はフィンランドに住む女性が主人公に言ったこのセリフは痛々しく響く。30代の胸を刺す。それへの主人公の、そのときには即答できなかった答えこそ、村上春樹が強く長く心に抱いているテーマなのではないか。

《「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ」》

   ◇

主人公を除く、かつての親友4人の名字には「色」(白、黒、青、赤)の漢字が含まれていることが小説の大事な要素である。と、これは翻訳がちょっと面倒だろうなあと思う。

Откуда я? どこ出身?

Недавно я ходил в маленький индийский ресторан, который находится совсем близко от нас. Последний раз мы с женой ходили туда, поэтому я почти не разговаривал с менеджером ресторана. Просто я думал он из индии, так как этот ресторан индийский, и на стене висит индийский флаг.

Этот раз я один, наверное поэтому менеджер со мной начал разговаривать. Оказалось, что он из Бангладеша — сосед Индии. То есть я сделал ошибку. А он тоже сделал ошибку. Перед тем, как он со мной разговаривать, он был уверен, что я из восточно-южной Азии. И когда он слышал мой японский язык, он понял, что я настояший японец.

Я не удивлён. Так как такой случай иногда бывает у меня. Да, почему-то у меня кожа чёрнее, чем у обычных японцых. А моё лицо немного похож на люди, проживающие в восточно- южной Азии. Может быть, там я смогу работать шпионом отлично. Только если я бы мог владеть языками восточно-южной Азии….

Кстати, в этом ресторане я ел индийский кэрри-лапшу. Было вкусно!

最近、私は家の近所の小さなインド料理店に行った。前回、妻と行ったので、マネージャーとはほとんど話をしなかった。インド料理店であり、壁にはインド国旗が掛かっていたので、彼はインド人だろうと思った。

今回は一人だったからか、マネージャーは話しかけてきた。そして、彼はインドの隣国バングラデシュ出身だったことが判明した。つまり、私はミスを犯した。そして彼もまたミスをしていた。彼は私と話す前は、私が東南アジア出身だろうと確信していた。そして、彼は私の日本語を聞いたとき、私が正真正銘の日本人だったことに気づいた。

私は驚かない。こうしたことは時々起きているから。はい、私は普通の日本人よりもなぜか肌が黒い。そして、顔は東南アジアに住んでいる人に少し似ている。多分、私はスパイとして東南アジアでうまく働くことができる。現地の言語を使いこなせさえすれば……。

ちなみに、このレストランでは、インドカレーうどんを食べた。美味しかった!

После возвращения в Японии

Сегодня я чувствовал шок. Об этом я напишу.

Дело в том, что с апреля в Токио я начал учиться русскому языку в университете “Софья”. Конечно мне надо работать, поэтому я выбрал курс русского языка для работающих.

Этот курс бывает только раз в неделю. И каждые занятия продолжаются только 90 минутов. Но, что делать? Это мало, но больше ноля…

Как в России, в Японии у нас золотая неделя в начале мая. Из-за этого на прошлой неделе у нас не было занятий. Я хорошо отдохнул с семьёй, не изучая русский язык.

Вот, сегодня у нас были занятия. Каждый раз в начале занятии нам надо поговорить что-то нового. Но сегодня я совсем забыл этот привычку, и не сделал подготовку. Так как ещё у нас было много домашнего задания.

Я поговорил о официальном визите японского премьер-министера в Москву. Но к сожаленью, мог поговорить очень мало. На самом деле, после возвращения в Японии у меня нет шансов поговорить по-русски, кроме этого курса.

Только месяц прошёл. Но я уже начал забывать русский язык! Какой ужас! Кошмарно! Таким образом, ребята, я постараюсь написать что-нибудь на русском языке почаще!

希有な中央アジア小説『シルクロードの滑走路』及び中央アジア漫画『乙嫁語り』

ボストン・テロ事件の容疑者であるチェチェン人兄弟は中央アジアのキルギスで暮らしていた。スターリンによる強制移住政策のためだ。日本人にとって、中央アジアはピンと来ない地域である。中東よりもよほど近いのに。利害関係が薄いせいかもしれない。シルクロード、と言えば途端に親近感を得る人が多いのはどこか奇妙である。日本では、近現代史に興味がない人が多すぎるのではないか。歴史にロマンを求めすぎるのではないか。

ともあれ、中央アジア関連の書籍は少ない。それでも、意識して探すとあるにはある。

経済小説家の雄、黒木亮氏の『シルクロードの滑走路』はソ連崩壊後のキルギスを相手取った、モスクワ駐在商社マンのビジネス小説である。商品は航空機。以前に読んだ黒木氏の『エネルギー』でもそうだったが、航空機ビジネスの仕組み、流れが詳しくつづられ、一方で地域に絡む歴史・地理が語られる。

むしろ後者が興味深いし、個人的には勉強になる。ただ、ビジネス面の話でも、とりわけ旧ソ連の途上国の状況を如実に示した箇所は参考になった。

同書では、キルギス人のほか、亡命チェコ人、トルコ人、クルド人、ロシア人、英国人が登場する。それぞれの国民性や近現代史が教科書的に挿入される。そうそう、中央アジアの奥地に強制移住させられたドイツ人(ボルガ・ドイツ人)一家や朝鮮人(コリョサラム)も出てくる。

黒木氏はよく取材している。

キルギスのトクマクという街にソ連時代、飛行機の操縦訓練学校があり、エジプトのムバラク前大統領も訓練を受けていたことなど、さりげなく記載する。また、キルギス人作家のチンギス・アイトマートフの作品もちらりと紹介している。

ビジネス小説はどうしても取引の成否がメーンとなり、話は単線的になる。『エネルギー』はその点、三つの別々の話が盛り込まれているので読みでがあった。今作はシンプルである。今後しばらくは、特に知りたい業界や地域についてのものでなければ、ビジネス小説は読まないだろうな。

   ◇

同じく中央アジアを描いた何ともマニアックな漫画を見つけた。『乙嫁語り』(森薫、エンターブレイン)。舞台は19世紀、場所は現ウズベキスタン、カザフスタンを中心としたエリアのようだ。ロシア帝国の影が忍び寄る、イスラム・ハン国支配圏のお話だ。テーマはお嫁に行く若い女性たちの気持ちの揺れや生活が中心である。

非常に絵の上手なこの女性漫画家は、中央アジアの文化に強い興味を持っているらしい。趣味と実益を兼ねた企画のようだ。楽しみながら、資料を駆使して当時の様子を再現している。中央アジアに親しむ入り口としては格好の本だ。人気もあるらしく、5巻まで出ている。

明るく賑やかな漫画だが、時代背景としては、遠からずロシア帝国が地域を治める複数のハン国を征服するし、さらに後にはソ連がのみ込む。遊牧民たちの暮らしは壊され、イスラム信仰や奥深い文化も少なからず破壊される。そう考えると、哀しみもある。

『紳士協定 私のイギリス物語』と『アーロン収容所』で英国と日本を考える休日

連休前半は仕事が入った。後半は犬を連れて連日、1万歩以上歩いた。多少は本も読めた。

ロシア留学前、気になりつつも買わなかった佐藤優氏のイギリス留学体験記『紳士協定 私のイギリス物語』(新潮社)を読んだ。ロシア物に比べると至極あっさりとした印象の一方、大切な記憶としてやさしい空気が詰め込まれているように感じた。

氏の外務省勤務初期の英国研修における、2人の友人が登場する。一人は、佐藤氏がロンドン近郊の村で語学学校に通っていた時期、ホームステイした家の少年グレン。もう一人は一緒に研修を受けた同期のキャリア外交官・武藤君。特別な時期を共有した特別な友人は、その時期が過ぎれば離れてしまうことが多い。だが、影響は続くのだ。

留学記として勉強法なども記載されているかと淡く期待したが、そうした記述は多くなかった。どちらかといえば、少年グレンとは人生観に関するやり取りが多く、武藤君とは外交官人生に関するものが多い。その中に、イギリスの階級社会のあり方を読み解くくだりも登場する。

「ガールフレンドとの関係は一種、運命みたいなものがある」
「運命?」
「そうだよ。人間がどんなに努力しても、運命の意思に反したことをすると、必ず後で悪いことがある。古代ギリシアの悲劇についてグラマースクールで勉強しているだろう」
「勉強している」
「運命を理解するにはギリシア悲劇を読むといい」

グレンとのやり取りは終始、こんな塩梅だ。ホームステイ先の理知的な少年と現地の言葉(英語)で人生観を語り合うとは、理想的な留学ではないか。しかし、最後まで読むと、どこか寂しさと痛々しさを感じる。佐藤氏の青春小説だ。

イギリス、といえば、ロシアからの帰路、約10時間のアエロフロート機中にて日本人論の古典ともされる会田雄次著『アーロン収容所』(中公文庫)を読破した。初版は昭和37年=1962年。文庫に入ったのは1973年。以来、34刷を重ねる名著だ。アーロン収容所はビルマにおける英軍の日本人捕虜収容所である。京都帝大史学科出身の会田氏はビルマ戦線に送られ、捕虜となって観察した英国人、日本人、インド人、ビルマ人を記録した。

佐藤氏の『紳士協定』でも、少年グレンと一緒に日英間の戦争映画『戦場のメリークリスマス』を観て、感想を語り合うのが重要な場面である。国民性と残虐性が主たるテーマであったか。

実際に英国側の収容所で辛苦と屈辱の日々を送った会田氏の英国人観は「恐ろしい怪物」。〈実利主義〉、〈植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではない〉〈アメリカの直截さに比しイギリスの植民地経営の方が遙かに老獪、したがって悪質、フランスの方が残虐だったこと、アメリカは黒人問題をかかえているから人種差別が深刻に現われるが、ヨーロッパ人の差別観の方がはるかに徹底したものであることはほとんど自明のことである〉

第2次大戦時の日本側の捕虜収容所における残虐性については、文化論として次のように検討しており、興味深い。

〈日本人は何千年来、家畜を飼うという経験をしなかった〉〈私たちは捕虜をつかまえると閉口してしまうのだ〉〈ヨーロッパ人はちがう。かれらは多数の家畜の飼育に馴れてきた。植民地人の使用はその技術を洗練させた〉〈捕虜の虐殺やその処遇など、日本人に対してあたえられた批難はこのことに無関係ではない〉

また、戦争責任論や靖国神社におけるA級戦犯合祀の問題につながる、一元兵士としての率直な見解も漏らしている。

〈私たちはもちろんまじめに戦った。ここまで踏み切った以上日本が負けたら大変だと思ったからである。かならずしも大東亜戦争が聖戦であると信じていたのでも、八紘一宇の理念を信奉していたためでもない〉
〈戦争に抵抗もせず、軍部や政府から特別いじめられたということもなかった人々が、勝利者に対し「日本は軍国主義の鬼だった」「気ちがいだった」と言って廻ってくれたのには抵抗を感じた〉

読みかけの新書『歴史認識を問い直す―靖国、慰安婦、領土問題』の一章を思い出す。著者の元オランダ大使・東郷和彦氏は、1953年に周恩来・中国首相が日本側に伝えた「日本軍国主義者の対外侵略の罪行は(略)日本の人民にも空前の被害をもたらしました」との考えが「極めて根の深い、息の長い思想」と指摘している。

中国側としては〈靖国神社には、日中人民の共通の敵である日本軍国主義者の代表たるA級戦犯が祀られている〉から、〈靖国神社の参拝は許せないということになる〉

この論理展開に対し、東郷氏は批判的である。〈日本の歴史を学べば、満州事変以降終戦までの歴史で、ドイツのナチズムのような形で戦争責任者を線引きすることがまったくできないことは、よく理解できるはずである〉〈日本をして戦争を選ばしめていったのは、大部分の国民が何らかの形でかかわった時の勢いといったものであり、少なくともそれに国民は応分の責任があったのではないか〉と書く。

戦中世代の会田氏の認識と呼応する。ただ、東郷氏は加えて、現時点で日中間において「A級戦犯=日中人民の共通の敵」論を覆すことの難しさも指摘している。日中・日韓関係がこじれる中、よくよく事実を基に考えなければならない問題だ。なかなか一刀両断できるものではない。

花壇の桃にアブラムシがわいて困る。英文の迷惑メールもしばしば舞い込んで困る。