ラジカセと基礎英語とキエフ風カツレツ

初めてウクライナという国を認識したのは中学生のときだった。入学祝いで買った巨大なCDダブルラジカセでNHKラジオ第1の基礎英語を聞いていたら、ウクライナ移民の米国人男性が登場し、主人公にキエフ風チキンカツレツを紹介した。と、覚えている。

御多分にもれず、ラジオ英語講座には毎年春だけ熱心に取り組んだので、4月だったろう。ただ何年生のときか。91年の入学なので、1年生の春ならまだソ連があり、その冬にソ連は崩壊。2年の春なら既にウクライナは独立しているから、そのときかもしれない。いずれにしても時事的な教材だったわけだ。

太ってユーモラスなのに、どこか哀愁を漂わせるウクライナ移民のおじさん。そんなイラストがついていた。そして、丸々として美味そうなキエフ風カツレツ!

まさか、その二十数年後、ウクライナに何度も足を運ぶことになるとはね。ニキビ出始めの学ランの中学生だった自分は知るよしもなく。

急に思い出したのは、先日のキエフ出張でクリミア避難民の元養蜂家の男性ピョートルさんに話を聞き、彼の兄弟や両親が米国在住と知ったからだ。白タク運転手などで子供5人の糊口をしのぐ現状だが、底抜けに明るいオヤジだった。「キエフでも養蜂をやりたいね。それが目下の夢かな」

ちなみに、出来立てのキエフ風カツレツは要注意。ナイフを入れた瞬間、中の溶けたバターが吹き出すおそれがある。

IMG_3364.JPG

カルムイク人の運転手

モスクワで空港からタクシーに乗ったら、ダッシュボードに金色の小さな「マニ車」が飾られ、くるくる回っていた。ロシアのタクシーでは大抵、正教のミニ・イコンが飾られ、キリストがにらみを効かせている。どこでも事故防止は神頼み。マニ車に「おや?」と思う間もなく、三十がらみの温厚そうなアジア系のドライバー氏は「自分はカルムイク人だ」と名乗った。

見たところ、北東アジアの顔つき。日本人を乗せるのは2回目だという。親しみを覚えたのか、おしゃべりが始まった。「カルムイク人というのはね――」。

ロシア連邦カルムイク共和国は欧州唯一の仏教国(地域)をうたう。カルムイク人はモンゴル系の騎馬民族でロシア帝国の下、カフカス防衛のためロシア南西部へと送られてきたのだとか。いわばチベット仏教徒のコサックだ。一帯の少数民族と同様、スターリン時代の第2次大戦中には対独協力の疑いで中央アジアへ強制移住させられた。厳しい道中では約半数の人々が命を落としたという。

当然だが、カルムイク語はモンゴル語と近い。「モンゴル映画は字幕を見ずに分かるんだよ」。であれば、構造は日本語に近いのかな。「日本語で石けんって何て言う? カルムイク語ではサボンだよ」。それは外来語では? だが、確かにシャボンと言えば似ている。「どこかつながっているんだよ」と喜んでいた。

彼の姓はペトロフ。男女2人の子供がいる。「息子はチンギス。男の子は民族を背負って生きていかなければ。娘にはロシア風の名前をつけたよ。女の子は女の子。かわいい名前をつけなくちゃ」。

故郷から若くしてモスクワに飛び出し、飲食店従業員などを経て、銀行勤務に。が、子供2人を養うに十分ではなく、タクシー運転手へ転職。「銀行の管理職と同じくらい稼げるし、時間が自由なのがいい」というわけだ。知人がイラクで月1400ドルの仕事に就くらしく、「2、3年だったら稼いでくるのも悪くない」と話した。

日本人もカルムイク人も共に遠いルーツがモンゴルであるならば、東の果てと西の果てに住む末裔となる。それがモスクワでばったり出会うというのも、おもしろい。数日間、ロシアを離れていたので、ロシア語のリハビリにも打って付けの興味深い会話だった。