“Ясукуни в России” ロシアの「靖国神社」

В парке победы и музеи ВОВー勝利公園と大祖国戦争中央博物館にて

家の近所を自転車でぶらぶらしているうちに「勝利公園」にたどり着いた。旧ソ連の第2次世界大戦勝利を祝した記念公園。いわば、ソ連・ロシアの「靖国神社」だ。

新婚さんたちが何組も記念撮影に訪れており、貸し自転車やローラーブレードで楽しむ人たちも目立つ。中央の記念塔には激戦地となったソ連各都市の名前が刻まれ、ナチスの鉤十字がついた龍の首を落とすソ連兵士が敢然と立つ。

何気なく入った「大祖国戦争中央博物館」も迫力があった。ソ連が2千万人もの犠牲を払いつつ「ファシスト」から勝利を勝ち取った軌跡を示す。

もっぱら対独戦である。レニングラード包囲戦やスターリングラードの攻防を始め、全て地上戦、市街戦で取ったり取られたりしているのだから、被害とその記憶は大変なものがある。日本でいえば沖縄戦が何カ所もあったような話だ。博物館では実物大のジオラマ展示で激戦を伝え、「栄光のホール」でソ連英雄と英雄都市を称える。

対日戦の展示は見当たらなかった。日本にとっては旧満州やサハリン、千島へのソ連軍侵攻と占領、シベリア抑留は重要な戦争の記憶だ。だが、ソ連側にとっては対独戦と比べて印象に薄いようだ。目についた日本がらみの展示は「南京大虐殺」のものぐらいだった。

とにかく、ソ連は戦勝国であり、犠牲を払って勝利したことを伝えるのが博物館の目的。国民にとって誇るべき記憶を末長く伝えるべく、展示内容が練られている。もちろん、そこに何らの「反省」はない。そんなものはあってはならないから。

日本が敗戦国にならなかったとしたら、おそらく同じようなことになっていただろう。ソ連という多民族の共産国家だからこそより、国民の団結を高める意図が強く込められているとしても。

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読書記録「復活」(トルストイ、新潮文庫、木村浩・訳)

トルストイは帝政ロシア末期の優れたジャーナリストであり、社会批評家であり、思想家であった。そう思わされる1冊だった。

ストーリーはさほど複雑ではない。

若き日、叔母方に住み込む美しい少女カチューシャとの一夜で相手を身ごもらせたまま立ち去った公爵ネフリュードフ。カチューシャはやがて売春婦に身を持ち崩し、強盗殺人罪で裁判にかけられ、偶然、陪審員となったネフリュードフが審理に当たることになり――。

タイトルの「復活」とは何か。ネフリュードフにとっては、青年時代の純粋な平等思想の復活か。カチューシャにとっては、高潔さや善なる意思の復活か。いずれも行きつ戻りつ迷いながら進んでいく様子が、現実の人間を描いていると感じさせる。

最後に至って、聖書に忠実にのっとった「神の国」を現実社会で「復活」させることこそが目指すべき道だ、と示唆される。ある種の革命思想である。

帝政ロシアの行き詰まりが、土地制度と刑事制度を中心に詳細に告発される。貴族と農民、官僚と囚人が対比され、不正義が記述される。形骸化した教会も槍玉にあげられる。政治囚となった革命家たちの会話や描かれる社会のきしみは、その後のロシア革命を予感させる。

《農民は死にかけている、しかも、その死にかけているということになれっこになって、彼らの間には死滅していく過程に適応した生活態度ができあがっている》

文学的というよりは多分に社会的な小説だ。トルストイの「正義」や「あるべき社会」に関する思想が根底にある。特に主人公の公爵は「刑罰」に対して原理的な考察を続ける。あえて言えば、透き通った目を持ったトルストイによるもう一つの「罪と罰」だ。

《一般に社会や秩序が存在しているのは、他人を裁いたり罰したりしているこれらの合法的犯罪者がいるからではなく、むしろこうした堕落した現状にもかかわらず、人びとが互いに愛しあい、憐れみあっているおかげなのだ》

告発の書ではあるが、冒頭の裁判シーンの人模様など優れた作家ならではの観察眼と描写力が恐るべきほど発揮され、特に、俗物を正しく俗物として描き出していてぞっとさせられる。物を書く人間には大いに参考になるだろう。訳も大変こなれている。

冒頭の一文からじわっと響く。透徹した観察者の視点だ。

《何十万という人々が、あるちっぽけな場所に寄り集まって、自分たちがひしめきあっている土地を醜いものにしようとどんなに骨を折ってみても、その土地に何ひとつ育たぬようにとどんな石を敷きつめてみても、芽をふく草をどんなに摘みとってみても、石炭や石油の煙でどんなにそれをいぶしてみても、いや、どんなに木の枝を払って獣や小鳥たちを追い払ってみても――春は都会のなかでさえやっぱり春であった》

ロシア語学習者は次の一文で目が止まるだろう。

《その手紙は硬音符を略して、鉛筆で達者に次のように書かれていた》

親切な訳注によると、硬音符=硬音記号について《革命前、子音に終る単語のあとにつけられた記号。革命前からこれを略しているという事実は、書き手が進歩的思想の持主であることを暗示している》とある。言語の政治性をまざまざと感じさせる。

また、現下のウクライナ情勢に関係深い一文もある。

《それは貴族出身の活発な婦人で、強制的に正教に改宗させられたウニアット派のいる西部地方で、正教の普及と保護に努めている婦人であった》

訳注で《カトリックと正教を融合させようとした宗派》とあるウニアット派(ユニエイトとも)はウクライナ西部を基盤とする。

自信たっぷりの革命家の一言は今のロシアにも当てはまるだろうか。

《民衆というものはいつも権力だけを崇拝するものなのさ》

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「ラディカル・ヒストリー」とトルコ

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1月中旬、遅めの冬休み、日差しを求めて南下した。

モスクワから3時間強、飛んでイスタンブール。カフカス山脈を越え、黒海をまたいで、あっという間で別世界だ。

機中、山内昌之氏の『ラディカル・ヒストリー ロシア史とイスラム史のフロンティア』(中公新書、1991年初版)をぱらぱらと読む。スラブ世界とイスラム世界の接近と衝突を様々な切り口で示す、貴重な一冊。絶版だが、北方領土へのビザなし渡航へ行く途中の釧路の古書店で発見したのである。

スラブ世界からイスラム世界への飛行に、絶好の読み物だった。

〈実際にソ連は、人口数でいえば世界で第五番目に大きなムスリム国家である〉
〈現在の複雑なソ連民族問題を歴史的に考える際に、いちばん大事なのは、ロシア人以外の大半の民族にとって、ロシア帝国と《ソビエト帝国》の違いをそう簡単に区別できないことである〉
〈重要なのは、ロシア人とトルコ系ムスリム諸民族との接触を通してスラブ=イスラム文化圏あるいはスラブ=トルコ政治経済圏といってもよい広域的世界がつくられた事実である〉

いちいちしびれる。ロシアとイスラムの関係に興味がある人には一読をお勧めする。

   ◇

イスタンブールで実感し、理解したことは、トルコ人はもとユーラシアの遊牧民であったという歴史的事実だった。

広大なトプカピ宮殿は庭園内に離れが点在するつくりとなっており、これは遊牧民の伝統を受け継いだためという。欧州とアジアを分けるボスポラス海峡を見晴らす、気持ちの良い宮殿だった。

そして、トルコのカーペット。これも遊牧民の生活用具であり、嫁入り道具だ。バザールなどの専門店で様々な種類の物が売られている。それぞれ、各地方独特の織り方、厚さ、文様があるという。

空港から街へ向かうリムジンバスに揺られての第一印象は、経済大国であるなあということ。するすると走る路面電車に代表されるイスタンブールの街は欧州的でありながら、アジア的。ロシアとは違った形でユーラシアを体現していた。

お椀をいくつもひっくり返して重ねたような大モスクがあちこちに威容を誇る一方、普通にバーも見かける。エジプト以上の世俗国家であった。

   ◆

冬休み後、イスタンブールから黒海の対岸、ソチへと出張した。そのあと、さらに黒海沿岸のクリミア半島へ。クリミア・タタール人の古都バフチサライの宮殿がトプカプ宮殿のミニチュアのようで、印象的だった。