読書記録『コンビニ人間』

読書記録『コンビニ人間』(村田沙耶香、文春文庫)

幼い頃から世間の「普通」や「常識」が浸透しなかった36歳の女性「私」が主人公である。学生時代から18年間、コンビニ・アルバイトを続け、コンビニ店員になりきり、周囲の話し方やファッションを吸収することでかろうじて「普通」を演じて生きてきた。

《…朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしているのだった。》(27頁)

《早くコンビニに行きたいな、と思った。コンビニでは、働くメンバーの一員であることが何よりも大切にされていて、こんなに複雑ではない。性別も年齢も国籍も関係なく、同じ制服を身に付ければ全員が「店員」という均等な存在だ。》(43頁)

だが、働く気のない男性「白羽」と接近したことで、「私」の大切なコンビニの世界は壊れていく。

《「あの年齢でコンビニバイトをクビになるって、終わってますよね。あのままのたれ死んでくれればいいのに!」皆が笑い声をあげ、私も「そうですね!」と頷きながら、私が異物になったときはこうして排除されるんだな、と思った。》(76頁)

やがて仕事仲間たちが「ムラのオスとメス」の姿を見せ始める。コンビニを離れることになり、外形的には一気に「普通」へと近づくが、「私」の内面は拒否反応を示していく。そして、ついには「私はコンビニ人間である」と覚醒する。

《私にはコンビニの「声」が聞こえて止まらなかった。コンビニがなりたがっている形、お店に必要なこと、それらが私の中に流れ込んでくるのだった。私ではなく、コンビニが喋っているのだった。私はコンビニからの天啓を伝達しているだけなのだった。》(157頁)

この場面は宗教的覚醒のようであり、啓示を受け取ったかのようである。

   ◇

「○歳までに結婚すべき」「結婚したら子供は持つべき」「○歳にもなってコンビニバイトだなんて」――。そんな世の常識を問う。問うのだが、「普通」に疲れた読者の共感を得るというレベルには作者はとどまらない。より極端に進むのがこの作者の持ち味。ついでに言うと、作者による『地球星人』はもっと先へと突き進んでいる。

読み手によっては不快を感じるはずだ。それこそが作者の狙いかもしれない。力のある芸術、文学は快いとは限らず、しかし、受け手の世界観を揺さぶりうる。155回芥川賞受賞作。

読書記録『リトル・ドラマー・ガール』

読書記録『リトル・ドラマー・ガール』上下(ジョン・ル・カレ、ハヤカワ文庫NV)

イスラエル出張にあたって関連する小説を探して見つけた。

イスラエル特殊機関のスパイとしてパレスチナの抵抗組織(テロ組織)に潜入する英国人舞台女優チャーリーが主人公。いかにその役になりきるか。

「首魁の爆死した弟の恋人」になりきらせるために、イスラエル特殊機関は作られた記憶をチャーリーに追体験させる。半ば以上、パレスチナ側の人間にさせて、首魁へと接近させる。

チャーリーは良くあるスパイ像とは異なり、「役」に入れ込んでいく。それだけにリアルさもある。その過程を丁寧に描いているため、長い小説となっている。

筆者ル・カレはイスラエル諜報関係者とパレスチナ側の双方に取材したという。パレスチナを巡る爆弾テロの時代が生んだ作品。抑圧されるパレスチナ側もしっかりと描いている。(キンドルにて7月読了)

《”イスラエルの三十年は、パレスチナ人を地上のあらたなユダヤ民族にした”という、史上最も残酷なジョークを、声を大にいうだけの勇気を持った者がいるか。》

《『わしは墓にはいったんだ』と、父はいっていた。『この小屋はわしの墓石だ』ヨルダンに到着した瞬間から、われわれは国を持たぬ市民になった。身分証明書も権利もない、将来もなければ仕事もない。》

《すばやく決断せねばならず、訓練とはすばやい決断のためのものであった。》

《”勇気は持ち金のようなものになる。使って使って、ある夜ポケットをのぞくと無一文だ。そこからだ、真の勇気がはじまるのは”》

《「シオニストは恐怖と憎しみから殺す」と、彼はいいきった。「パレスチナ人は愛と正義のために殺す。このちがいを忘れないでくれ。大事な点だ」》

《……不正義をただすために。不正義をもって不正義をただすために。正しい者がみな木端微塵にふきとんで、ようやくその瓦礫のなかから正義がからくも立ちあがって、ひと気の消えた街路を歩きだす、その日まで。》

《「きみは、わたしの国を売り渡したのとおなじイギリス人なのだな」目で見ているものを信じかねるように、ものしずかにそういった。》

読書記録『つけびの村』(高橋ユキ、晶文社)

山口県奥地の限界集落で起きた5人殺害事件を追う。村八分が原因との憶測に対し、現地取材を続けた筆者は異なる結論を見いだす。Uターン、空回り、精神疾患、噂話を娯楽とする狭い村、孤独ーー。民俗調査の色合いも帯びる。ウェブ発で書籍化。

事件ノンフィクションではあるが、どちらかというと限界集落の実例を知りたい読者にうってつけという印象を得た。

今のままだと消えてゆくこうした山村が日本各地にあるだろう。その末期の姿と、ありし日を語る証言が記録されている。

読書記録『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(小泉悠、東京堂出版、2019年7月)

◆はじめに

《ロシアの国家観においてイメージされる境界とは、★浸透膜のようなものだ。内部の液体(主権)は一定の凝集性を持つが、目に見えない微細な穴から外に向かって染み出してもいく。(中略)もしも外部の液体の方が浸透圧が高い場合、膜の内部には他国の「主権」がグラデーションを描きながら染み込んでくる。》(P14)

◆第1章 「ロシア」とはどこまでか―ソ連崩壊後のロシアをめぐる地政学

《現在のロシア国歌ではロシアを「愛しき我らの国」とするばかりで、国民団結の理念はやはり示されていない。(中略)この意味で、★現在のロシアにとって第二次世界大戦の記憶は貴重なアイデンティティのよすがとなっている。(中略)ソ連はここで全人類的な貢献を果たしたのだという自負は現在も極めて強い。(中略)ドイツの降伏を記念して毎年5月9日に行われる戦勝記念パレードは、そのことをまざまざと実感させてくれるイベントだ。》(P38~39) →★北方領土問題も「貴重なアイデンティティ」と直結している。サハリンでの戦勝記念パレードを想起。

《ソ連崩壊によって「ロシア的なるもの」は国境で分断され、新たに出現したロシアの国境内には「非ロシア的なもの」が抱え込まれることになった。つまり、★民族の分布と国境線が一致しなくなったわけで、こうなると「ロシア」とは一体どこまでを指すのか(国際的に承認された国境とは別に)という問題が生じてくる》(P42) →★ウクライナ紛争においても重要な点。

《大国志向的国家観においては、ロシアが旧ソ連諸国を帝国的秩序の下に直接統治することまでは想定しない。その一方で、★旧ソ連圏で生起する事象に関してロシアが強い影響力を発揮できる地位を持つべきであるという点では、大国志向は帝国志向との共通点を有する。》(P49)

◆第2章 「主権」と「勢力圏」―ロシアの秩序観

《(前略)たしかに歴史的つながりが深いとはいえ、れっきとした主権国家である旧ソ連諸国をロシアがこのように扱うことは、どのように正当化されるのだろうか。ひとことで言えば、★ロシアの考える「主権」とは、ごく一部の大国のみが保持しうるものだという考え方がその背景に指摘できよう。(中略)他国に依存せず、「自由」=自己決定権を自らの力で保持できる国だけがプーチン大統領の言う「主権国家」なのである。(中略)このような能力を持たない旧ソ連諸国は真の「主権国家」ではなく、したがって「上位の存在」であるロシアの影響下に置かれるのは当然だ、というのがロシアの論理であろう。この意味では、★安全保障を米国に依存する日本もまた、「主権国家」の定義からは漏れることになる。(中略)ロシア的用語法における「主権国家」(中略)とは、★「大国」に限りなく近い概念であると言えよう。》(P58、59、60) →★ロシアにおける日米関係への言説。沖縄への関心。

《(前略)ロシアが決定的に望ましくないと考える行動(NATOやEUへの加盟等)をロシアの介入によって果たせずにいる以上、消極的にはロシアの影響圏内に留まっていると考えることは可能である。現在のロシアが目指しているのは、まさにこのような意味での影響圏=★消極的影響圏を維持することであろう。》(P71、72) →★現在のウクライナ、ジョージアなど。

《こうした陰謀論的な世界観は、ロシアの政治的言説においては決して珍しいものではない。(中略)コロンビア大学のミッチェルが指摘するように、こうした★民主化革命を担った政治勢力への米国の支援は「重要だが小規模」なものであり、これらの運動が米国によって操られていたという性質のものではない。だが、ロシアにおいては「カラー革命」は米国によるロシアの勢力圏切り崩し工作とみなされた》(P74) →★マイダン革命におけるヌーランド氏を想起。

《ロシアの理解によれば、ロシアは、より弱体な国々の主権を制限しうる「主権国家」=大国であり、その★「歴史的主権」が及ぶ範囲は概ね旧ソ連の版図と重なる。その内部において、ロシアはエスニックなつながりを根拠とするR2P(保護する責任)を主張し、介入を正当化してきた。一方、ロシアの「歴史的主権」が及ばない旧ソ連圏外においては、ロシアはウェストファリア的な古典的国家主権の擁護者を以て自らを任じてきた。(中略)しかし、これは明らかな二重基準である。(中略)ロシアによる「歴史的主権」の行使も現在の秩序に照らして到底容認できるものではない。★ロシアに「歴史的主権」が認められるとすれば、論理的には他の大国もこうした特権を周辺諸国に対して持つことになるためである。》(P78、79)

《★★旧ソ連諸国は大国が取り合う駒ではなく、それぞれが主体性を持って戦略的に行動するプレイヤーである。ことに2010年代には旧ソ連諸国に対する中国の存在感が高まり、旧ソ連諸国はロシア、西側、中国という三つの勢力の間でマニューバー(域外大国を天秤にかける「コウモリ外交」)を行う余地を高めてきた。》(P80)

《ロシアが「歴史的主権」を守るために軍事力行使に踏み切ったグルジアおよびウクライナにおいては、NATOやEUへの加盟プロセスを凍結させるという効果をもたらす一方、★両国の反露的姿勢は一層確固たるものとなってきた。》(P80) →★「反露的姿勢」は今後変わらないと言い切れるだろうか。ロシアの揺さぶりは続き、変化もありうるのではないか。

◆第3章 「占領」の風景―グルジアとバルト三国

《2000年に成立したプーチン政権は当初、エリツィン政権末期に悪化した西側諸国との関係改善を掲げ、現在では考えがたいほど米国に配慮した外交政策をとった。(中略)だが、2000年代半ば以降、米露関係は次第に悪化の様相を辿るようになる。(中略)★旧ソ連諸国において相次いだ政変が米国の陰謀によるものであると見るロシアは、米国に対する不信感を募らせていった。》(P91、92)

《(前略)それだけに両「国家」(※アブハジアと南オセチア)の軍事力はロシアの強い影響下に置かれており、(中略)二つの未承認国家の実態が、ロシアによる「占領」であることは明らかであろう。》(P100、101)

《最近では、インターネット上のフェイクニュースも問題になっている。2014年のウクライナ危機において、ロシアはメディアやインターネットを総動員して「ロシアは介入していない」(中略)といった情報を広く拡散した。(中略)★「情報」が国家間関係においてこれまでにない力を持つ時代が訪れつつあると言えるだろう。》(P120)

◆第4章 ロシアの「勢力圏」とウクライナ危機

《ソ連崩壊後、★新生ウクライナはロシアの勢力圏からの脱出を目指したが、これは簡単なことではなかった。国際価格の数分の一という安価で供給されるロシア産天然ガスなくしては、ウクライナ経済は立ち行かないためである。自国を通過するロシアの天然ガス・パイプラインから多額の通行料収入を得てもいること、多くの工業製品や農産物がロシアに輸出されていること、ヒト・モノ・カネの往来が活発なことなどを考えても、ロシアとの関係を簡単に絶つわけにはいかなかった。》(P137)

《(前略)旧ソ連諸国向けのENP(※欧州近隣国政策)は東方パートナーシップ(EaP)と呼ばれ、2009年にスタートした。EaPの主眼は、旧ソ連諸国に民主化やガバナンスの改善といった国内改革を迫ることと引き換えに、「高度かつ包括的な自由貿易圏(DCFTA)」を結んでEUとの通商や人的往来を自由化するというものであった。(中略)しかし、DCFTAは参加国の経済政策を強く縛るものであるために、排他的な性格を有していた。(中略)これがロシアにとって極めて面白くないものであったことは明らかであろう。(中略)中でもロシアにとって受け入れがたかったのは、ウクライナのヤヌコーヴィチ政権までがEaPに基づくDCFTAへの参加の意向を示したことであった。》(P143、144)

《(前略)クリミア半島の併合はロシアの介入においてもかなり例外的なケースである。★紛争地域をそのままロシア領に組み込んでしまったという例は、ソ連崩壊後ではクリミアだけであるためだ(ソ連時代まで含めても前述したバルト三国の再併合まで遡る)。他方、★旧ソ連における紛争でよく見られるのは、分離独立勢力が法的親国との紛争の末に未承認国家を形成し、ロシアがこれに経済援助や軍事プレゼンスを提供するというパターンである。そして、ロシアの後ろ盾を得た未承認国家を法的親国が排除することはまず困難であり、分離独立状態は膠着化して、いわゆる「凍結された紛争」となる。(中略)ドンバス地方での紛争は、より伝統的なロシアの介入パターンに近い。》(P161)

《(前略)ロシアとの終わらない紛争を抱えているということは、当面はNATO加盟が不可能になることを意味している…。(中略)★戦争状況を継続させることそのものがロシアの目標であると考えられよう。》(P165)

《(前略)比較対象を旧ソ連諸国にしてみると、今度はロシアの圧倒的な軍事的優位が際立つようになる。(中略)★ロシアは旧ソ連諸国内で最大の兵力と唯一の核戦力を保有しており、他の追随を許さない。(中略)さらに★ロシアは民兵などの非正規軍事力を大量に動員する能力を有しており、★最近ではここに民間軍事会社(PMC)が加わるようになった。》(P170)

《ロシアにとって重要なのは、旧ソ連諸国に対して介入を行う際、★西側がそこに横槍を入れてこないよう抑止しておくことである…。(中略)ロシアの振る舞いを西側が軍事力で阻止しようとするならば、ロシアは通常戦力によってその抑止を試みるし、★抑止が破れれば核兵器を使用する(あるいはその脅しをかける)ことで介入を思いとどまらせようということだ。》(P170、171) →★ウクライナ危機と核兵器。ロシアは西側の介入を阻止する「切り札」としてアピール。また、核を放棄した国ウクライナにとっては国際約束を破られ、他国(北朝鮮やイラン)への影響も懸念される。

◆第5章 砂漠の赤い星―中東におけるロシアの復活

《シリアへの介入によってロシアが中東における影響力を著しく高めたことは事実であるとしても、この地域においてロシアが米国に代わる存在となったと見るのは過大評価であろう。★旧ソ連の勢力圏から遠く離れた地域においてロシアが発揮できる秩序維持能力は著しく制約されたものであるためだ。(中略)経済的にも、ロシアが大規模な軍事プレゼンスを展開しうる余地は小さい。(中略)国民感情の面からも同様である。》(P178、179)

《ロシアがシリアに対する介入で一定の成果を上げられた要因はいくつか挙げられる。たとえば、シリアでの空爆においてロシア航空宇宙軍が無差別爆撃を多用していることはその一つである。(中略)★シリアにおけるロシアの「戦果」は、民間人の巻き添え被害を厭わない根こそぎ型の爆撃に支えられている部分が大きいと言える。》(P181)

《ゲラシモフ参謀総長が述べているのは、シリアのような遠隔地への介入に際してはロシアがすべてを丸抱えしないという方針である。★ロシアが担うのは、介入の中核となる軍事力(たとえば空軍力や特殊部隊等)とその運用の基礎となる情報収集・指揮統制等を提供することであり、介入の実際は「関連国家の軍事編成、各派の軍事機構」と連携して行う。(中略)ロシアはシリアにおいて民間軍事会社(PMC)も活用している。中でも有名なのが「ワグネル」だ。》(P184、186)

《ごく単純化して言えば、西欧諸国の中東に対する関心は、主として植民地時代の利権維持と地理的に近接しているがゆえの脅威(宗教過激派によるテロや移民の大量流入)の封じ込めが主たる動機であると考えられよう。米国の場合、これは石油を中心とするエネルギー資源の安定供給とこれを脅かす敵対的勢力の排除と理解できる。しかし、ソ連やロシアにとっての中東の位置づけはこれと大きく異なる。(中略)★ロシアの対中東アプローチは、個々の状況に応じた(transactional)非イデオロギー的・即物的なものであり、しかも個々の国・アクターとの二者間関係が中心である。そこには★長期的な「中東戦略」のようなものは見られない。(中略)あらゆるアクターと一定の対話チャンネルを有することは、ロシアが仲介者あるいはバランサーとして振る舞いうることを意味する。》(P189、190、191)

《ロシアは中東における米国の影響力低下を巧みに利用し、自国に利用可能な政治的・経済的・軍事的資源の範囲内でその影響力を大きく高めた。さらにロシアはシリアにおける海空軍拠点を21世紀半ばまで維持するとの合意をアサド政権ととり付けており、エジプトやリビアでも軍事拠点の獲得を目指していると見られる。(中略)ロシアの軍事的関与は各種の制約から限定的なもの(「限定行動戦略」)とならざるを得ず、それゆえに★介入先の現地諸勢力との関係が決定的な重要性を持つ。特に注目されるのが、イランとの関係だ。》(P195、196)

《ロシアは中東への影響力を回復する途上にあるものの、その度合いは★あくまでも域外大国としてのそれに留まると考えられよう。》(P198)→★ロシアのアフリカ大陸への関与も同様、もしくはより利益中心主義的ではないか。

◆第6章 北方領土をめぐる日米中露の四角形

《これらの★北方領土駐留部隊は(中略)クリル諸島(北方領土と千島列島を併せたロシア側の地理的概念)の内側に広がるオホーツク海の防衛である。オホーツク海はカムチャッカ版図に配備された弾道ミサイル原潜(SSBN)のパトロール海域とされており、北極海をパトロール海域とする北方艦隊のSSBN艦隊と並んで★ロシアの核抑止力(特に第二撃能力)を担う。(中略)★北方領土は核抑止という最上位の軍事戦略と密接な関連性を有する地域であり(後略)》(P214、217)

《ロシアの中国観もこれと同じだという。巨大な力を持つ隣人とどう波風を立てずに付き合っていくか、言い換えれば、★隣人をいかに隣人のままに留め、敵にしないかがロシア極東部の関心なのだ。(中略)このような傾向は、極東に限らず、ロシアの対中政策全体にも見て取れる。ことに2014年のウクライナ危機以降はそれが顕著になった。(中略)ロシアの対中安全保障政策は「同盟にはなれないが敵にもならない」という関係の構築を目指して進められてきた。》(P230、231、234)

《巨大な隣人と直接に国境を接している★ロシアの対中脅威認識は日本などの比ではなく、それゆえに中国との関係悪化をなんとしても避けることこそがロシアにとっての安全保障とみなされている、という構図が描けよう。》(P235)

◆第7章 新たな地政的正面 北極

《ロシアは北極に大きな経済的意義を認める一方で、その裏返しとして軍事的な脅威認識を強めるというアンビバレントな様相を呈している。それゆえに、国家として見た場合のロシアの北極政策には、協調的な側面と対立的な側面の双方が混在しており、周辺諸国にとっての不確定要素とみなされてきた。》(P258)

◆おわりに 巨人の見る夢

《ロシアを夢見る巨人と見立ててもよいかもしれない。ユーラシアの巨大な陸塊の上で、ロシアは壮大な「勢力圏」の夢を見ている。(中略)寝返りを打てば、隣人たちに影響を与えずにはいられない。》(P262) →★イメージとしては、切断された腕を近くし続ける巨人かもしれない。幻の腕。しかし、骨は断たれても神経は一部つながっている…。ソ連崩壊は終わっていない。

【コメント】

★1章=北方領土問題も「貴重なアイデンティティ」と直結している。サハリンでの戦勝記念パレードを想起。
★2章=「反露的姿勢」は今後変わらないと言い切れるだろうか。ロシアの揺さぶりは続き、変化もありうるのではないか。
★4章=ウクライナ危機と核兵器。ロシアは西側の介入を阻止する「切り札」としてアピール。また、核を放棄した国ウクライナにとっては国際約束を破られ、他国(北朝鮮やイラン)への影響も懸念される。
★5章=★ロシアのアフリカ大陸への関与も中東同様、もしくはより利益中心主義的ではないか。
★おわりに=イメージとしては、切断された腕を近くし続ける巨人かもしれない。幻の腕。しかし、骨は断たれても神経は一部つながっている…。ソ連崩壊は終わっていない。
▽「地政学」なのでロシアの内政的要素にはほとんど触れていない。
▽「浸透膜」の両側を行き来しての経験。

【読書記録】フレデリック・フォーサイス『悪魔の選択』(角川書店、1979年)

【読書記録】フレデリック・フォーサイス『悪魔の選択』(角川書店、1979年)

82年の世界を舞台とした国際スパイ小説。米ソ対立を背景に、ウクライナ民族主義グループ(クリミア・タタール人も)が事件の中心をなす。英国情報部員、ソ連最高指導者、米大統領らが登場。ソ連崩壊を予言する台詞もある…。

ウクライナ民族主義やその指導者ステパン・バンデラ、クリミア・タタール人の強制移住を盛り込んだ小説は数少ない。現代のウクライナ危機にもつながる歴史。米英ソの外交駆け引きやソ連政治局の内部闘争も読ませる。

※事実関係の細部には多少誤りもあるようだが。

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読書記録『泥の河』(宮本輝、新潮文庫)

戦後間もない大阪。街に活気はあるが、大人の中には戦争の傷跡が生々しく残る。物理的にも心理的にも。戦後を生きる幼い子供たちも無縁ではいられない。うどん屋の子と、船の子の出会いと別れ。泥の河は大阪中心部を滔々と流れる。

開高健の『日本三文オペラ』とは時期的に近いだろうか。

《朝陽が川面でぎらついている 。その隅の黒い影の中に舟の家があった 。倉庫や民家や電柱の輪郭を克明に描きながら 、影は舟を乗せて揺れていた》

《湊橋のたもとから細い道が落ちていた 。それはかつてそこにはなかったもので 、舟に住む少年の一家が作ったに違いなかった》

読書記録『砂のクロニクル』(船戸与一、小学館文庫)

【読書記録】「砂のクロニクル」(船戸与一、小学館)

イスラム革命から十年程後のイランを舞台とした冒険小説。革命保持に身を捧げる革命防衛隊員、クルドのゲリラ、武器商人の日本人、世捨て人の日本人ーーと四人の物語が交錯する。カスピ海を挟むソ連も舞台に。濃厚な…

イランやクルドについて、さらにはカスピ海をとりまく諸地域について関心を深める入り口として適しているだろう。紛争の中にある人々へ思い馳せるよすがにも。

《中東では通りの名称はしょっちゅう変更される。革命ではなく、ただの政変ですらむかしの呼び名がまず蹴っ飛ばされるのだ》821

《イラン革命は世界史上、類例のない革命だった。アメリカ合衆国とソヴィエト連邦を同時に狙い撃った革命がこれまでどこにあったろう? イスラム教の全的な復権というテーゼのみがそれを可能にしたのだ》913

https://www.shogakukan.co.jp/books/09406050

読書記録『ガリツィアのユダヤ人――ポーランド人とウクライナ人のはざまで』(野村真理、人文書院、2008年)

ウクライナにおけるユダヤ人とウクライナ人の関係史。第二次大戦中のナチスドイツ侵攻下で起きたウクライナにおけるユダヤ人虐殺。現代のウクライナにおける極右勢力と反ユダヤ思想。つまりはウクライナとユダヤ人について知ろうと思うとき、筆頭の参考書となる本だ。

その歴史。

《……西ヨーロッパで迫害に苦しむユダヤ人にとって、ポーランドは希望の地であり、またポーランドの王にとって、ユダヤ人は黄金の山をもたらす人びとであった……》(27頁)

《……一六世紀を通じてユダヤ人をポーランドに呼び込み、さらに彼らのウクライナへの集中を促進したもの、それがバルト海貿易の繁栄と、マグナート(大貴族)やシュラフタ(貴族)によるウクライナ開発である》(29頁)

《……アレンダールは、まずはアレンダ契約にありつき、賃借した領地や特権から必死になって利益を稼ぎだそうとした。……農民にとってのユダヤ人は、種蒔きもしなければ、耕しもせず、農民を食い物にして稼いでいる者たちであり、貴族の領地経営の片棒を担ぐユダヤ人は、農奴制にあえぐ農民の恨みを買わずにはいなかった。一六四八年のボグダン・フメリニツキの反乱は、ポーランドにおいてユダヤ人の楽園時代に終止符を打つ》(34頁)

《……合法的手段によるウクライナ人の権利拡大が何の成果もあげないなかで、一九三〇年代前半はOUN(※ウクライナ民族主義者組織)のテロ活動が最も過激化した時期である。……ポーランドの取り締まりも熾烈をきわめる。……ウクライナ民族主義者をテロへと駆り立てた背景として、当時のウクライナ人の深い絶望感を知っておく必要がある》(139、141頁)

《農民解放以前の東ガリツィアで、ユダヤ人は、ポーランド人の貴族領主によるウクライナ人支配の手先だった。……ポーランド侵略の機会をうかがいつつ、他方でボリシェビキに対する仮借なき戦いを唱えるナチこそ、ヨーロッパにおいて、唯一ウクライナ人の味方となりうる勢力と考えられた》(143頁)

《独ソ戦が始まった一九四一年六月……三〇日……OUNバンデラ派の名でウクライナの独立が宣言される。……ユダヤ人に対するポグロムは、まさしくこのウクライナ人の熱狂と興奮のなかで発生した》(173、174頁) ※ルブフ市内にて

《……ウクライナ民族主義者の擦り寄りにもかかわらず、ナチ・ドイツには、はじめからウクライナの独立を認める気はなかった。……ナチ・ドイツは……ウクライナ人のユダヤ=ボリシェビキに対する憎悪をみずからの水路に引き込み……現地の反共産主義的、反ユダヤ的集団による自己浄化運動のシナリオを実現させた》(182頁)

《一九四三年一月末、ドイツ軍はスターリングラード(ヴォルゴグラード)でソ連軍に敗北し……ドイツ軍は総退却を余儀なくされた。その過程でナチ・ドイツは、占領地に設置したユダヤ人居住区や収容所を撤収してゆく。……そこに残っているユダヤ人を抹殺……》(196頁)

《……ウクライナ人の民族問題は一九四五年で終わったというべきではない。ドイツ軍がウクライナから撤退した一九四四年の冬以降、UPAの闘争相手はもっぱらソ連となる。……UPAがほぼ殲滅されるのは一九五四年頃である》(202頁)

読書記録『グッバイ、レニングラード』(小林文乃、文藝春秋)

ノンフィクション『グッバイ、レニングラード    ソ連崩壊から25年後の再訪』(小林文乃、文藝春秋)を読了。TBS特別番組の子供特派員として2週間、91年夏のソ連に滞在した筆者が2016年、番組制作でロシアを再訪する。
レニングラード封鎖とショスタコービッチの交響曲が主題だが、そこに新味は薄い。最近の日本人作家の本を含めて引用多数で、この本を新たに出す意味は希薄だ。ソ連時代の体験を描く私的回想は面白い。ただ、それとて米原真理を思い浮かべれば、月とすっぽんと言うべき。

 

取材過程も織り込むことで分量を稼ぎ、テレビ番組を作ったついでに完成した1冊という印象が強い。やや辛口の評価になってしまったが、無理やり必然性を作り、過度に意味付けしている部分が多かった。

読書記録『リスクと生きる、死者と生きる』(石戸諭、亜紀書房、2017年9月初版)

東北の津波被害の遺族、福島の原発事故で影響を受けた周辺地域の人々、チェルノブイリ原発事故のガイドツアー、福島第1原発の廃炉現場、架け橋となろうとしている元東電社員、福島事故後にツイッターなどで科学的情報を発信した東大教授、福島を語る糸井重里氏ーー。著者が取材で出会った人々の声をできる限り、型にはめずに揺らぎをも捉えようと試みている。

情景描写もうまく、読みやすく考えさせられるノンフィクションに仕上がっている。とりわけ、まさにリスクと生き、死者と生きる被災地の人たちの訥々とした言葉はじわじわと伝わってくる。

一方で、終盤の東大教授・早野龍五氏と、糸井重里氏が登場した章はすんなりとは読めなかった。

「将来子供が産めなくなるのでは」と危惧する福島の若者たちへ向けて、科学的なデータを集めて「何の問題もない」と示した早野氏の取り組みは尊い。全くもって、運良く最悪の事態は免れたと分かる。一抹の危惧は、真摯な取り組みさえも党派的に利用される可能性があることだ。「ほら、あれだけの福島事故があっても問題ないのだから、原発は安心」と。早野氏は「若い世代の不安は『被害』ではないのか」と問うており、これは共感できる。現地ではデータに基づく安心は必須。一方で、日本の他の原発立地地域でこの「安心」が悪用されることを恐れる。

糸井重里氏。メタ的であろうと発言している人物と感じる。AでもBでもなく、それらを止揚した高みに立っているようなモノの言い方をするひと。だが、先の神戸の「世界一のクリスマスツリー」騒動に見られるように、残念ながらそんな高みにある人ではなさそうだ。ぐるっと回って、党派的な俗物と感じる。そんな糸井氏で本書を締めてしまったことは残念だ。全体としては、筆者が自身の思索を深めていくスタイルを取り、良書である。