読書記録『ガリツィアのユダヤ人――ポーランド人とウクライナ人のはざまで』(野村真理、人文書院、2008年)

ウクライナにおけるユダヤ人とウクライナ人の関係史。第二次大戦中のナチスドイツ侵攻下で起きたウクライナにおけるユダヤ人虐殺。現代のウクライナにおける極右勢力と反ユダヤ思想。つまりはウクライナとユダヤ人について知ろうと思うとき、筆頭の参考書となる本だ。

その歴史。

《……西ヨーロッパで迫害に苦しむユダヤ人にとって、ポーランドは希望の地であり、またポーランドの王にとって、ユダヤ人は黄金の山をもたらす人びとであった……》(27頁)

《……一六世紀を通じてユダヤ人をポーランドに呼び込み、さらに彼らのウクライナへの集中を促進したもの、それがバルト海貿易の繁栄と、マグナート(大貴族)やシュラフタ(貴族)によるウクライナ開発である》(29頁)

《……アレンダールは、まずはアレンダ契約にありつき、賃借した領地や特権から必死になって利益を稼ぎだそうとした。……農民にとってのユダヤ人は、種蒔きもしなければ、耕しもせず、農民を食い物にして稼いでいる者たちであり、貴族の領地経営の片棒を担ぐユダヤ人は、農奴制にあえぐ農民の恨みを買わずにはいなかった。一六四八年のボグダン・フメリニツキの反乱は、ポーランドにおいてユダヤ人の楽園時代に終止符を打つ》(34頁)

《……合法的手段によるウクライナ人の権利拡大が何の成果もあげないなかで、一九三〇年代前半はOUN(※ウクライナ民族主義者組織)のテロ活動が最も過激化した時期である。……ポーランドの取り締まりも熾烈をきわめる。……ウクライナ民族主義者をテロへと駆り立てた背景として、当時のウクライナ人の深い絶望感を知っておく必要がある》(139、141頁)

《農民解放以前の東ガリツィアで、ユダヤ人は、ポーランド人の貴族領主によるウクライナ人支配の手先だった。……ポーランド侵略の機会をうかがいつつ、他方でボリシェビキに対する仮借なき戦いを唱えるナチこそ、ヨーロッパにおいて、唯一ウクライナ人の味方となりうる勢力と考えられた》(143頁)

《独ソ戦が始まった一九四一年六月……三〇日……OUNバンデラ派の名でウクライナの独立が宣言される。……ユダヤ人に対するポグロムは、まさしくこのウクライナ人の熱狂と興奮のなかで発生した》(173、174頁) ※ルブフ市内にて

《……ウクライナ民族主義者の擦り寄りにもかかわらず、ナチ・ドイツには、はじめからウクライナの独立を認める気はなかった。……ナチ・ドイツは……ウクライナ人のユダヤ=ボリシェビキに対する憎悪をみずからの水路に引き込み……現地の反共産主義的、反ユダヤ的集団による自己浄化運動のシナリオを実現させた》(182頁)

《一九四三年一月末、ドイツ軍はスターリングラード(ヴォルゴグラード)でソ連軍に敗北し……ドイツ軍は総退却を余儀なくされた。その過程でナチ・ドイツは、占領地に設置したユダヤ人居住区や収容所を撤収してゆく。……そこに残っているユダヤ人を抹殺……》(196頁)

《……ウクライナ人の民族問題は一九四五年で終わったというべきではない。ドイツ軍がウクライナから撤退した一九四四年の冬以降、UPAの闘争相手はもっぱらソ連となる。……UPAがほぼ殲滅されるのは一九五四年頃である》(202頁)