捌かざるもの食うべからず

どんよりとした土曜の午後、床屋へ行ったついでにスーパーに寄る。昼飯の「サッポロ一番」に入れるチャーシューがわりのハムを買うのが主目的だった。肉売り場をちらり。牛タンがぞろり。素知らぬ顔して通り過ぎ、牛乳、バター、パンをカゴに入れる。レジ方面へと進む。惣菜コーナーで考え直す。

久々に牛タンが食べたい。

五十メートル、引き返す。少なくとも心理的にはそれくらいの距離。だらりとビニールにパックされた牛タンを品定め。小さめのパックを選んでレジへ向かった。途中、ケーキコーナーでレモンケーキを2個、確保。

生の塊の牛タン。ただし、子牛の牛タン。ロシアでも牛タンは食べられているが、どうも癖が強い。子牛の牛タンならそんなことはない。たしか今年1月にも同じ店で買って、美味しく食べた。帰宅後、冷凍庫へ収めた。

夜、久々に腰にエプロンを巻く。冷凍庫から取り出した牛タンはまだあまり硬くない。とはいえ、もはや制限時間いっぱい、待ったなし。赤い肉用まな板、出刃庖丁を取り出す。牛タンは3本。ザラザラした皮を取り除かないと話にならぬ。詳細は省くが、ぐにゃぐにゃしているので一苦労だった。

格闘すること1時間半。はじめは足元にまとわりついていた犬も飽きて、どこかへ行ってしまった。とにかく、やっと下処理が終わる。塩胡椒してしばらく置いておき、サラダをこさえる。さて、フライパンでタンを焼く。夏にお土産にもらったキプロス島のチーズも焼く。美味しく食べる。

一握りの教訓。やはり牛タンは子牛に限る。切る前に半凍結させるべし。凍った部分は楽に皮を切れた。裏側の薄皮は取らずとも問題なし。塩気の強いキプロス・チーズは肉にぴったり。

「消えた大国」を探す日曜蚤の市

   
 

モスクワ中心部を囲む環状通り「サドバエ・カリツォー」の右上(北東)辺りにあるバウマン庭園 Сад им. Баумана できょう、初めての日曜蚤の市が開かれた。今後、毎週日曜の正午から午後5時までの定番イベントになるという。

トロリーバスを乗り継いで出かけた。なにしろこの環状通りはモスクワにとって重要な目抜通りの一つなので、おそらくスターリン時代に建てられた重厚な建物が並ぶ。

古い教会の向かいにあるバウマン庭園は程よい広さだ。散策路に沿って、思い思いに品物を並べた「店」がずらり。売り手はプロとアマチュアが混ざっており、ちゃんとした売り台やテントもあれば、シートを広げただけの人もいる。場所の良さと初回ということもあってか、大盛況だった。

さて、この2年間にそれなりに何度も蚤の市を歩いてきたので、何となくの相場観は身についた。蚤の市歩きは狩猟・採集の一種なので、お値打ちな掘り出し物探しが醍醐味。「これ、いいな」と思っても、高ければ買わない。まだ先は長いのだ。

ロシアでの蚤の市の面白さは、旧ソ連の品々を手にとれることにある。創設から約70年で消滅した巨大国家の破片といってもよい品々だ。そして共産主義国のリーダーを自認したゆえに、小さな骨董品にもしばしば「国家の意思」が反映されている。例えば、モチーフとして多用される赤い星や宇宙飛行士などだ。

もう一つの面白さは人とのやりとり。「これはいくらですか?」の質問から切り出し、品物の年代や生産地を尋ねる。欲しくなったら値切ってみる。日本から来たと知ると、また違った話をしてくる人もいる。他の人のやりとりを見るのも興味深い。奥さんに財布を握られている男性、うっかりグラスを割ってしまった客と売り手の緊迫した会話ーー。

きょう、買ったもの。

ソ連時代の絵本3冊とマヤコフスキーの詩の本1冊。ソ連邦15共和国がテーマの絵葉書セット2種類。カラスを擬人化したイラストのついた食器セット。ソ連海軍がテーマのボードゲーム。全部合わせて2千円でお釣りがくるくらい。

どんどんモノが増えていって、さて先々どうしましょうか?

ウラジーミルさんとウォトカで乾杯

がっちりした体格にスキンヘッドで見るからに強面なウラジーミルさん。日曜の午後、ひょんな縁で家に招待された。
これが圧巻だった。

彼はビールや酒に関するグッズのコレクターで、家中にロゴ入りグラスなど自慢の品々がびっしりと並ぶ。居間には、業務用のガラス張り冷蔵庫とビールメーカーのテーブルセットが配置され、広告灯が華やぎを添える。まるでビアホールのよう。

廊下、寝室、台所までコレクションを案内してくれて、こちらが興奮して「まるで博物館みたい」と褒めると、ウラジーミルさんはうれしそうに頬を緩めた。

気づけば居間には食事がセットされている。ケーキを持って行ったが、そういう雰囲気ではない。冷えたビールも注がれ、おもむろにウォトカの瓶がテーブルに登場。北の街アルハンゲリスク製の1本。コレクション話を聞きながら、冷えたビールをごくり。続いてウォトカで乾杯。

ウラジーミルさんは「3回は乾杯しなきゃ」というので、「分かりましたよ」と杯を重ねた。「人は呑まなきゃ分からない」そうである。ここまでは良かった。もてなし好きのウラジーミルさんは友人に次々と電話をかける。やがて到着したオクサナさんはギターを抱えてコサックの歌を弾き語り。絶品。

一緒に登場したもう一人のウラジーミルさんはロシア革命までの銀製タバコ入れのコレクターだという。奥さんが見せてくれたダーチャの写真はプール付きの豪邸で只者ではなさそう。

問題はウラジーミルさんが二人に増えたことにあった。

強面ウラジーミルさんは「ウォトカ3杯でOK」だったのだが、新たにウラジーミルさんが増えた以上、乾杯しない訳にはいかない。一杯の量を減らしてはもらったが、そこはアルコール度数40度の酒。5杯、6杯。ウラジーミルさんの奥さんに誘われて、歌に合わせて立って踊って、酔いは回って7杯、8杯。

留守番の犬の晩御飯もあるので、とそのあたりでお暇した。みんな驚くほど良くしてくれた。ロシアに住んでいても地元の人とウォトカを飲み交わす機会はそうはない。ビジネスマンはまた違うのだろうけれど。そして一夜が明け、月曜日は夕方までほとんど倒れていた。

読書記録、領土問題と「ジャッカルの日」(フレデリック・フォーサイス、角川文庫)


有名だけれど読んだことのなかったスパイ・スリラー小説。何の気なしに手に取った。これが実は国家や領土、独裁について参考になるテキストだった。

舞台は60年代の西欧、暗殺の標的となるのはフランスのシャルル・ドゴール大統領である。なぜか。独立機運が抑えられなくなった植民地アルジェリアの放棄政策を進めたためだ。これを認めない軍の一部と右翼が暗殺を狙って反体制秘密軍事組織OASを結成するに至る。実際、複数回の暗殺未遂事件が起こされた。

こうした実話を元に、最後の切り札として狙撃を依頼された謎の男、ジャッカルが登場する。

巨額の仕事を頼むOASのリーダー格、ロダン大佐は仏領インドシナとアルジェリアで部下たちを失い、「自らの血を流して犠牲になる兵士たちを、地の塩として崇敬していた」。だから、一度は支持したドゴールの「裏切り」が狂信的なまでに許せないのである。

彼は言う。「われわれは、現在フランスは独裁者に支配されている、彼は祖国を傷つけ、その名誉をけがした、と信じている。そしてまた、彼の政権を倒し、フランスを真のフランス人民の手に取り返すには、彼をまず抹殺しなければならないともね」

ドゴール側近のフレイ内相はフランスにおける元首暗殺の恐ろしさをよく理解していた。「国家によっては、たとえば二十八年前のイギリスや、その年の暮れのアメリカのように、大統領の死や国王の廃位によっても崩れることのない、安定した機構をそなえているところもある。しかし、一九六三年のフランスは、国家としての組成から考えても、大統領の死はすなわち、暴動と内戦の序幕にほかならない」

こうしたストーリーを愛国ムード高まる今のロシアで、日本人として読んだとき、脳裏を横切るのはこの国の大統領と、未解決で残された日露の領土問題のことである。

もしも領土返還交渉が仮に2島だけでも進んだとしたら、ある層にとっては「クリミアを取り戻した英雄」が「クリル(千島)を売り渡した売国奴」に転じかねない。そして「大統領の死はすなわち、暴動と内戦の序幕にほかならない」かもしれないーー。

前半はそんな空想にふけりながら読んでいたが、後半はページをめくる手が自然と早くなった。欧州を巧みに飛び回り暗殺の日へ向けて着々とパリへ近づいていくジャッカルと、阻止しようと奮闘するルベル警視との神経戦に目が離せなくなる。

最後に付け加えれば、著者は60年代当時、ロイター通信パリ特派員としてドゴールと周辺の取材を経験していた。この作品には内部記録やオフレコ談話を駆使したのだという。優れた人物造形やストーリー展開に、ほかの作品も読んでみたくなった。

ウィーンとプラハで買ったもの

  

モスクワ暮らしもちょうど2年となり、その前のサンクトペテルブルク留学を加えると、ロシア生活も早3年弱となった。が、先はまだ長そうだ。ゆえに、出張先や旅行先で日本製品販売店を覗くのが習慣となった。主には食品が目当てだ。

モスクワにも数店舗そんな店はある。だが、品ぞろえや価格に難あり。最近の中欧旅行でもウィーンとプラハで現地の日本製品販売店に足を運んだ。

素晴らしきはプラハ。在留邦人もさほど多くはないだろうに、店は広く、なんと古本コーナーまである。村上春樹のサハリン紀行文が載った文庫本など2冊購入。1冊200円ほどでお買い得。一方、食品は軒並み高く、これというものは見つからない。中国製の柴漬けと、期限切れコーナーで見つけた明太子スパゲティの素などをわずかにカゴに放り込んだ。

ウィーンでは、先に訪れたアジア食材店で「出前一丁」のあの坊やとばったり再会。元気そうだったので4人ほど連れて行くことにした。英国製だかでさほど高くない。日本人経営の日本食材店は品ぞろえ豊富な一方、値段は辛口。ほとんど買わずに店を出た。

プラハでは、24時間経営のコンビニのような店「ミニマーケット」をよく見かけた。店番や経営者はアジア系の移民が多いようであった。それゆえか、ベトナム製のフォーのカップ麺、タイ製のトムヤムクンのカップ麺などが充実。モスクワでは手に入らないので少々まとめ買いした。

そのほか、せっかくの旅行なので、なんとなくの買い物をする。子供の頃に憧れたスイス製のアーミーナイフ、旅先にウイスキーを持っていくための小型スキットル。プラハの蚤の市でチェコスロバキア時代のブリキのミニカーやらスタンプやらシュコダ社のコーヒーカップやら。

どうしても必要なものは何一つ買っていない。それほどの贅沢もないだろう。

ウィーンでにこやかなサービスを受けるにつけ、旧共産圏の親玉・ロシアにおけるサービス習慣の欠落を思わざるをえなかった。多くの場合、代金に応じて提供される役務や商品に「サービス」という概念が含まれていない。ときに「心意気」でサービスに該当する素敵な行為を示されることはあるが、これはあくまで個人的行為。標準的ではないのだ。

便益を供与する側が圧倒的に強かったであろうソ連時代の残滓を、欧州との対比ではたと感じた。かといって便益を購入する側が強くなりすぎた(ように感じる)日本にも違和感はある。日本のいわゆる「クレーマー」はロシアで修行したら良い、と思う。