二十世紀ロシア美術と北朝鮮料理店

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トレチャコフ美術館新館

モスクワの「上野公園」へ行ってきた。クレムリンの南、モスクワ川のほとりにトレチャコフ美術館新館がある。公園が広がり、近くには芸術大学もあって、東京で言えば上野の森にいるような気分になった。

トレチャコフの新館は二十世紀ロシア美術を専ら展示している。

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「ペトログラードの防衛」(アレクサンダー・デイネカ作、1964年)

ロシア革命前、革命後、大祖国戦争、スターリン批判、雪解け、ソ連崩壊といったそれぞれの時代の絵画や彫塑作品が時代順に並んでいる。シャガールやカンディンスキーの具象画も面白い。革命後の労働者や政治指導者がモチーフの絵画、彫刻はすこぶる面白い。そして、ソ連崩壊後のシニカルな絵なども心惹かれる。買い物の後に行ったので、時間が足りなかった。

美術館は彫刻公園の中にある。こちらもスターリン像などソ連色が残っていて面白いらしい。

さて、上野公園で美術鑑賞のあとは、キムチ横丁で韓国料理と行きたい所。ここモスクワ版の上野では、地下鉄二駅で北朝鮮国営(らしい)レストラン「高麗(コリョ)」へ行こう。

昔のデパガのような制服を着た北朝鮮人のウエイトレスたちがきびきびと働いている。ロシア語もうまい。化粧は濃い目。ちゃんとしたキムチやナムルが食べられるし、チヂミは日本で食べるよりもうまい。そして、締めは平壌冷麺。こちらも蕎麦の実をつかった黒い細麺のこしが絶妙だし、スープの辛さもちょうど良い。加えて比較的お財布にも優しい。

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北朝鮮レストランの入り口の絵

北朝鮮歌謡を聞きながらの食事は乙なものだ。注文のとき、「日本人でしょ」と言われた。分かるものなのだな。逆に、昼間には近所のショッピングモールで、灰色のスーツに赤旗のバッジを付けた高校生くらいの若者グループを見かけた。間違いなく北朝鮮の子たちだろう。

北朝鮮の公的な存在感。これは「西側諸国」にはあまり無いものかもしれない。

※東西が統一したドイツは例外的なようだ。
◆北朝鮮:ドイツ舞台に米と非公式接触

ソチと札幌 ーー征服を記憶する土地でのオリンピック

北カフカス地方に位置するソチは、かつてチェルケス人らがロシア帝国によって征服された土地だったという(下記リンク参照)。「ソチ」という地名にしても、黒海へ注ぐ「ムズィムタ川」にしても、一般的なロシア語の地名とは響きが違う。

ふと思うのは、

1972年2月に冬季五輪が開催された札幌も、大和民族がアイヌ人を征服した土地であったということだ。その地名もまた、一般的な日本語の地名とは響きが異なる。例えば、「真駒内(まこまない)」であるとか。

さて、

ロシアでは、ソチ五輪へ向けて、北カフカスのイスラム過激派がテロを予告している。実際、南部の工業都市ボルゴグラード(旧スターリングラード)では先日、路線バスが自爆テロにやられ、市民6人が死亡した。この事件が、まもなく開幕100日前となる五輪へのテロの幕開けとなる可能性が懸念されている。

これに対して、「やっぱりロシアは怖いね」と他人事で考えてしまいがちだ。

だが、時代背景もあるが、札幌五輪のころの北海道でも、民族的•政治的な背景のある(主に「旧日本帝国のあらゆる侵略行為を糾弾する」とした極左勢力による)事件やテロは散発していた。

1972年9月、シャクシャイン像台座損壊事件
1975年7月、北海道警察本部爆破事件
1976年3月、北海道庁爆破事件

死者も出た道庁爆破事件当時の新聞記事を読むと、アイヌの人たちにとっては全く迷惑な話だったが、犯行声明には「アイヌの大地への侵略」を糾弾する意図が記されていた。

「平和の祭典」は期せずして苛烈な記憶が埋もれた土地で開催され、ときにパンドラの箱を開けてしまうのだろうか。

◆ソチ冬季五輪:会場は「虐殺」の地 帝政ロシア、先住民を迫害 悲劇隠す政府に失望感 (毎日新聞より)

異なる楕円の軌道

モスクワ中心部での渋滞中、運転する事務所スタッフのセルゲイ(仮)と話す。普段、彼は自動車通勤である。通勤ラッシュもあって、片道2時間かかるという。公共交通機関で通うとすると、地下鉄とマルシュルートカ(ミニ路線バス)を乗り継がなければならず、押し合いへし合いに耐えての1時間半となる。

車通勤の場合、夏場は比較的ましという。ロシア人は平均的に長い夏休みをとり、その間、郊外のダーチャ住まいとなったり、海外へ行ったりで、(おそらくお盆の東京のように)道路が空くから。

三十代前半の彼は、妻と4歳の長男と、妻の両親と暮らしているという。週末には同じく幼児の甥や姪もやってきて賑やかになるらしい。「それでゆっくり休めるかい?」と聞くと、「子供と過ごせるのはいいこと」と答えた。平日は通勤で往復4時間。それでも帰れば一緒に遊ぶそうだが、十分ではないのだろう。

夏には、家族はモスクワからは大分遠い妻の両親のダーチャで3カ月ほどを過ごす。仕事のある彼だけは一人、モスクワに残る。「でもね、今度、モスクワ郊外にある自分の両親のダーチャを増築するんだ。そこで過ごす時は、俺はそこから仕事に通えると思う」。

2時間もの長距離通勤は東京だけのものではないのだな。モスクワの家賃の高さを考えれば、さもありなん。

長い夏休みやダーチャは、日本人にとっては遠い世界の話だ。

日本人とロシア人、東京とモスクワ。感覚が遠かったり、近かったり。異なる楕円の軌道を描く、二つの惑星のような。

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写真=公園横に打ち捨てられた車。「俺を洗ってくれ!」と落書きされていた。

モスクワの街で、「ソ連」は空と地中に生きている。

モスクワの街で、「ソ連」は空と地中に生きている。

晩秋の低く鋭い太陽光線が、スターリン様式の摩天楼を空に浮き上がらせる。尖塔の星、鎌と槌の紋章。要塞とも宮殿とも違う、共産主義の殿堂。その、夢の跡。

「M」の標識から地下へ。

ベルトコンベアを思わせる高速度のエスカレーターでさらに地下へ。エスカレーターの監視人を横目にプラットホームへ。

鋼鉄のシャンデリア、革命家たちの凍った彫像、金色に磨かれた革命犬の鼻頭。手榴弾が今投げられようという瞬間、武骨な列車が殺到した。がっしゃんとドアーは閉められ、革命は過ぎ去って行った。

地上には何があるか。たくさんの車だ。外国製ばかりだ。ソ連時代からお馴染みの帆船印の「ラダ」は隅に追いやられている。

歩道には何があるか。煙草の煙がある。地上からある日消え去った「ソ連人」の末裔であるはずの、ロシア人やウクライナ人や中央アジア人やコーカサス諸民族が、煙を縫って行き交う。

十月から数年間、モスクワで暮らすことになった。ときどき雑感を刻みつけておこうと思う。

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